書評
『服部さんの幸福な日』(新潮社)
平凡のなかの異常と異常のなかの平凡
動きのなさそうなタイトルと、ぼんやり物思いにふけっている少年(青年?)が空に浮かぶ穏やかな表紙。本を開いて、そんな外見からは想像もつかない活劇に参入していることに気づいた瞬間、読者は心地よい驚きを感じるにちがいない。なにしろ主人公服部さんの乗った飛行機が、いきなり海中に墜落するのだ。服部さんは、隣に座っていた高木という男と奇跡的な生還をはたすのだが、幸か不幸か、漂流中のふたりを発見したクルーザーは、持ち主の名を伏せておかなければならない厄介な代物で、甲板にいた人物はネクタイを締めて海をさ迷っている男たちを渋々救助するものの、顔を見られないように目隠しをし、無線で事故を知らせることもなく、べつの船に譲り渡してしまう。
服部さんは、妻とふたりの子どもがいるごく普通のサラリーマンだ。妻の妊娠中に浮気をしたことがばれて以来、夫婦関係は多少ぎくしゃくしている。仕事で知り合った若い女性と関係しているという設定も、ある意味で紋切り型にふさわしい。他方、高木は旧財閥系の研究所に勤務するエリートで、母親ほどの年齢のメイドと暮らす、自己顕示欲の強い小心者である。
帰還後の記者会見の席で、彼らは第一発見者に礼を述べつつも、その非常識な振る舞いを難ずるような言辞を吐き、それをテレビで観て怒ったクルーザーの連中が、復讐と称して執拗な嫌がらせを開始する。度はずれた肥満と美声で周囲を魅了する謎めいた「奥様」、彼女のダメ息子、そして裏世界にも通じている子飼いの秘書。これらデフォルメされた面々が、命拾いを「幸福」に結びつけられずにいる生還者たちを苦しめていく。
ところが、物語の進展とともに、登場人物全員の日常に隠されている過去の傷や秘密が少しずつ炙りだされ、善悪の区別がつかなくなってくるのだ。巻き込まれ型のサスペンスとして幕を開けながら、相手秘書の冷徹な策略を服部さんの無意識が次々に打ち破っていくさまはたしかに痛快だけれど、世の「幸福」とは、もしかしたらたがいの悪意や無関心や無理解に支えられているのではないかという気にさせられてしまうのである。
もっともそんな後ろ向きの印象は、平凡のなかの異常と、異常のなかの平凡が鉢合わせをするとき、きれいに打ち砕かれる。終始「さん付け」で呼ばれる服部さんと、名前があるのに「奥様」と呼ばれる女性が、いわば別格の存在として、最後の最後にふと心を通わせる場面こそは、まさに「幸福」の顕われではないだろうか。
【この書評が収録されている書籍】
週刊文春 2000年3月9日
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