その亡命生活の七年間をともにした若きフランス人が、人間トロツキーの生々しい姿を描いた回想記。詩人にして翻訳家・小笠原豊樹さんの名訳がここに復刻されました。その訳者あとがき(抜粋)を以下に掲載します。
伝説の世界革命家トロツキーの知られざる生身の姿とは?亡命生活を共にした若者の回想記
トロツキーが一九二九年にソビエトから追放され、トルコ、フランス、ノルウェーと居所を移して、最後にはメキシコのコヨアカンで暗殺されるまでの約十一年間、ヨーロッパ各地やアメリカから馳せ参じた若いトロツキー支持者たちが、この革命家と起居を共にして、通信連絡、口述筆記、書類の整理、論文やパンフレットの翻訳、身辺警護、その他の雑用など、奉仕活動を行った。それらの青年秘書たちのなかで最も長期間にわたってトロツキーに協力した者の一人が、パリ出身のヴァン・エジュノールであり、本書はこの人物による回想記である。
異様に見えるほどの厳密さが浮きあがらせるトロツキー
一九一二年生まれのヴァン・エジュノールは、本文中にも書かれているように、一九三二年、二十歳でパリのトロツキスト・グループに加わり、同じ年、推挙されてトルコ領プリンキポ島に亡命中のトロツキーの許へ赴いた。トロツキーが暗殺されたのちは、「あとがき」に述べられているように、ボリシェヴィキのイデオロギーそのものに疑問を抱き、政治活動から退いて、学問の世界に入った。現在は記号論理学を専攻する学者として知られ、ボストン近郊のブランダイス大学の名誉教授である。著者が数学者であるためだろうか、本書は通常の回想記とはまるで違う、時には異様に見えるほどの厳密さによって読者を驚かせる。多少のわずらわしさなど意に介さぬように、著者はさまざまな出来事の時と所を一々詳しく明示する。年月日や時刻までもが可能な限り書きとめられ、著者自身の体験や見聞と他人からの伝聞や風聞とは峻別される。推測の部分はそのむねを明記され、多様な解釈を許す事実はそのようなものとして率直に述べられ、ほのめかしや思わせぶりはその片鱗さえ見あたらない。何よりも大方の回想記につきものの感傷や自己弁護または自慢がほとんどないことには驚かざるをえない。乾いた、論理的かつ叙事的な文体である。
無味乾燥な資料ではなく、独特の奥行きをもつ記録文学
このような著者の特色が明瞭に表れている部分の一つとして、巻末の「トロツキー関係の書き物における誤りの指摘」がある。単に事実の誤りを正すという以上に、この著者は、第三者の曖昧な記述や、資料の杜撰な扱いや、法螺話、気軽なでっちあげのたぐいに我慢がならなかったのだろう。このような著者の厳密な態度は、しかしながら、よくある厳密のための厳密、学者馬鹿の神経症的な整理整頓やきれい好きとは異なる。著者は序文で、この本は政治史でもなければトロツキーに関する人物論でもなく、ヴァン・エジュノール個人の回想であり、将来の本格的なトロツキー研究のための基礎資料なのだと断っている。もちろんこの本は貴重な一次資料として、歴史学者やトロツキー研究家の役に立つだろう。だが、私たち一般読者にこの本が与える印象は、無味乾燥な資料ではなく、独特の奥行きをもつ記録文学のそれである。
マルロー、ブルトン、フリーダ・カーロ、各国のトロツキストやスパイたちを活写
ヴァン・エジュノールの言う「一見なんの面白味もない細部」の列挙を辿るうちに、私たちの眼前には一九三〇年代という慌しく奇っ怪な時代背景が浮びあがり、その背景の前でスポットライトに照らし出されるのは、言うまでもなく、類い稀な強さと、時には私たち読者の微苦笑や溜息を誘うような弱さとを兼ねそなえた生身のトロツキーそのひとである。そして大勢の脇役たち──ナターリヤ夫人や、トロツキーの子供たちや、マルロー、リベラ、ブルトン、フリーダ・カーロ、その他の有名無名の文化人や政治家、あるいは各国のトロツキストや青年秘書たち、更には官憲やゲ・ペ・ウのスパイたち──とトロツキー本人との関係は、恐らくいまだかつて誰もなし得なかったほど、淡彩ではあるが、みごとに活写されている。
これほどの活写を可能にしたものは、やはり著者自身の内部を流れた厖大な量の時間であろう。この本のなかで語っているのは確かに現在の著者、すなわちトロツキーの死後四十年も生きつづけ、その後の世界の移り行きを見てしまった老人なのだが、一方、生身のトロツキーやその周辺の人びとを見たのは一九三〇年代のヴァン・エジュノール青年の、感じやすく、しかも冷静な目だったのである。老人と青年は互に確かめ合い、支え合って、一つの豊かな回想の流れを生み出している。
「一見なんの面白味もない細部」はその流れのなかのきらめく波頭ででもあろうか。「それらの細部を知っているのは私一人であり、自分とともにそれらが失われることを私は望まない」と著者は言う。これは芸術文学の領域にも通じる考え方である。
過去の改竄や贋造や抹殺にたいする憤り
著者ヴァン・エジュノールの厳密性はそのようなものである。つまり、掛け替えのない、取返しのつかぬ過去の日々は、掛け替えがないゆえに貴重であり、取返しがつかぬからこそ感傷に浸蝕されやすく、脆く、こわれやすい。従って過去を扱う者には慎重な方法と、謙虚な態度が要求される。最も厭うべき傾向は、観念や利害や党派根性に由来する傲慢や精神的粗暴である。「この分野では並々ならぬ慎重さというものが必要である」。ところで傲慢や粗暴はファシストやスターリニストの、あるいは「ただの穴埋めに大急ぎで情報を漁るジャーナリスト」の特徴の一つではなかったか。彼らの手による過去の改竄や贋造や抹殺にたいする憤りが、この本の著者の最も深いモチーフの一つであったことは疑う余地がない。そのようなモチーフから出発してこそ、傲慢には謙虚を、粗暴には慎重を対置し、こうして記録文学に必要な高度の厳密性へ至る道を歩むことが可能になるのだろう。
均衡が破れ、なまなましい地肌が透けて見える瞬間
時たま丹念な叙述の均衡が破れ、ことばの間からなまなましい地肌のようなものが透けて見える場合が、この本のなかに何カ所か認められる。その一例としては「誤りの指摘」の最終ページで、トロツキー夫妻のコヨアカンの家の寝室に置かれたスターリンの胸像を指して「脱糞」と形容しているくだりを見よ。数十年前の故事を語る老人の姿は突然消え、血気盛んなヴァン・エジュノール青年が前面に躍り出る。その激しい息ざしを感じながら、私たち一般読者はこのような均衡の破綻をむしろ好ましいものとして受けとめるのである。[書き手]小笠原豊樹(おがさわら・とよき)
1932年生まれ。2014年没。訳書にマヤコフスキー、ザミャーチン、ソルジェニーツィン、ブラッドベリ、トロワイヤなど多数。2014年に小笠原豊樹名義の著書『マヤコフスキー事件』で第65回読売文学賞(評論・伝記賞)受賞。また岩田宏名義で、詩をはじめ随筆、小説、評論を多数発表。1966年に「岩田宏詩集」で藤村記念歴程賞受賞。