唯一処刑された女性、足跡追う壮大な旅
「カティンの森」とは、ロシアの地方都市スモレンスク近郊の森だが、第二次世界大戦中、ここで前代未聞の大虐殺が行われたことで、世界に知られるようになった。ソ連に捕らえられていたポーランド人(その多くは将校やエリート知識人)が、一九四〇年にスターリンの指示を受けたNKVD(ソ連の政治警察)によって銃殺され、埋められたのである。犠牲者の数は二万二千に上る。カティンの森で殺されたポーランド将校は、ほとんどすべて男性だったが、一人だけ女性がまじっていた。それが本書の主人公、ヤニナ・レヴァンドフスカ(一九〇八―一九四〇)である。当時まだ非常に珍しい女性パイロットだった。そしてこの事実を知って興味を持った著者の旅が始まった。ワルシャワ、クラクフといったよく知られたポーランドの都市から、ヤニナの故郷であるポズナン近郊のルソーヴォへ。さらにロシアにも足を伸ばし、カティンの森を訪ね、犠牲者のプレートにヤニナの名前を確認する。それゆえ本書は単に文献資料に基づいた伝記ではなく、むしろヤニナを追う情熱に突き動かされた旅の記録になっている。外国人観光客などまず足を踏み入れない田舎の村ルソーヴォを訪ねた後、著者はこんな思いを抱く。「誰にも理解されない情熱だとしても、ここまできてよかった。ひねた自分の心がほろほろと解けて、限りなく透明になっていくような感覚だった。(中略)私は私のためだけに、この旅を続けるのだ」
そして著者は、音楽院に通い、飛行機に熱中したヤニナの若き日々の姿を描き出す。後にその彼女がカティンの森で処刑されて、物語は思いがけない広がりを見せ始める。森で殺される直前まで、彼女が収容されていたのは、コゼリスクという地方都市近郊のオプティナ修道院だったというのだ。これは文豪トルストイやドストエフスキーが関心を持って訪問したことでも知られる由緒ある修道院だ。ヤニナを追う旅はこうしてポーランドとロシアの両方にまたがる物語として展開していく。
実際、あちこち飛び歩くように取材を続ける健脚の旅人である著者に導かれ、思いがけず壮大で複雑な二〇世紀の歴史パノラマが開けていく。ヤニナの父、ユゼフ・ドヴブル=ムシニツキはもともと帝政ロシアで活躍した軍人で、二月革命後のロシアで「ポーランド軍団」を組織した将軍にして歴戦の雄だった。彼はその後、ポーランドに帰国し、ポーランド軍総司令官まで務めた。彼にはヤニナの他にもう一人、アグネシュカという娘があったのだが、彼女のほうはワルシャワでレジスタンスに参加、ナチ・ドイツに捕らえられて殺害された。姉はソ連に、妹はドイツに殺されたというのは何とも壮絶だが、大国の間で引き裂かれた国ポーランドにとって象徴的である。一方、ヤニナの夫はイギリスにわたってバトル・オブ・ブリテン(英独の航空戦)で勇猛果敢に戦った。
ヤニナという一人の女性の実像を追い求める著者の旅がここまで大きな、息を呑むような風景を開くとは、驚きである。それは数々の悲劇に彩られたポーランドならではのものだろう。本書はそのような国の歴史の中に分け入った著者の筆力が、対象に負けない、緻密かつ大胆な並々ならぬものだからこそ可能になった稀有の紀行である。