書評

『飛族』(文藝春秋)

  • 2019/05/12
飛族 / 村田 喜代子
飛族
  • 著者:村田 喜代子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(212ページ)
  • 発売日:2019-03-14
  • ISBN-10:4163909893
  • ISBN-13:978-4163909899
内容紹介:
朝鮮との国境近くの島でふたりの老女が暮らす。九二歳と八八歳。厳しい海辺暮らしとシンプルに生きようとする姿! 傑作長編小説。

語り部が紡ぐ空と海と人の物語

村田喜代子は現代の語り部である。一九七七年のデビュー以来四十二年、少しも筆力は衰えない。それどころか、一作ごとに広がりと深みを増していく。東京の空騒ぎとはほど遠いところ、北九州の一角に住みつづけ、じっと想をこらしている。

このたびでは島の婆(ばあ)さん二人をめぐっている。といえばすぐに、二十年あまり前の卓抜な短篇「望潮」を思い出すだろう。「つ」の字に腰が曲がり、歩行器がわりに「手製の箱車」を押し歩く婆さんたち。海辺の道を車がすっとばす。そこへヨチヨチやってくる。いうところの「当たり屋」であって、車にひかれて死ねば、まとまった金を子や孫にのこしてやれる。そんなわけで、毎朝、「つ」の字の形の婆さんたちが、平ベたいカニのように家から出てきて、めいめい箱車を押しながら自分の持ち場へ散っていく。

目を輝かせて読んだ。そしてこういう作家を同時代にもつことのしあわせを思った。

養生島に住んでいる三人の女年寄りのうち、最年長の南風原(はえばる)ナオさんが九十七歳で亡くなったとき、ウミ子はいよいよ自分の母親を本土に連れて帰るときが来たと思った。

母親のイオさんは九十二歳で独り暮らし。若いとき海女だったせいか、齢(とし)をとっても病気知らず。近くに金谷(かなや)ソメ子さんが住んでいて、八十八歳。長年の海女友達で、夫に先立たれ、身寄りもいない。

いま島の住人は二人きりだが、十年前は十世帯で二十人あまりが住んでいた。三十年くらい前は町があり、小学校と中学校、町立病院の分院もあった。米屋と酒屋と銭湯もあった。中国に近い南方の島々となっているが、日本全国、どの島も似たようなものである。人は去って空家だけが残り、背をこす猛々(たけだけ)しい草がつつみこんでいく。

水を汲(く)んで戻って来るとウミ子は裏口にまわった。すると庭の裏手の物干しのそばでイオさんとソメ子さんが、両手を広げて鳥の羽ばたきのようなことをやっていた。

明日の祝島のお祭りにそなえて、鳥踊りの稽古(けいこ)だという。両手を羽根にして飛ぶまねをする。「鳥は飛べるが人間は空中を歩けない。島は海の檻(おり)だ。波立つ水の檻である」

そんなウミ子の島の見方が、はてしなく広大な空と海のあわいにあって急速に変わっていく。

すぐれた物語には、もう一つの物語がひそませてあるものだ。ウミ子の父親とソメ子さんの弟は岩礁地帯にクエ漁に出かけ、嵐にあって亡骸(なきがら)も揚がらなかった。その顛末(てんまつ)が、三味線のベン、ベン、ベベンをお供にして語られる。船の足元に水が廻(まわ)ってきたとき、ウミ子の父親が「待避、待避!」と怒鳴った。どこもかしこも水浸しのなかで、どこへ待避しろというのだ?

「どこへて、空に決まっとる! 鳥になって空ば飛べ!」

ベン、ベン、ベベンと、ソメ子さんの三味線。「おお見れ! 姉ちゃ。おれあ飛んだど。夢のごとして、ヒュウヒュウと風ば切って飛んでいく。何ち簡単なことじゃ(…)そうや、おれだちは鳥じゃった。ああ長いこと忘れとった。姉ちゃ。おれあ鳥になったど!」。こういうベン、ベン、ベベンを聞くことは、小説読みの大いなる楽しみだ。

町の小型船が超過疎の島々を巡回している。年寄りが二人きりの島は役場の心配の種ではあるが、出て行かれても困る。国境に近い島は、人が住むかぎり海の砦(とりで)だが、無人になると侵入者が入り込んで占拠する。海ほど防備の不完全な国境はないのだ。そして日本は国中、そんな「曖昧な水の境界線」に取り囲まれている。

それにしても葬式の読経に天のデウスが出てくるのはどうしてだろう? アーラとかペンナ、ミコアイサとは何の意味だ。ラチネ、ラチネと哀訴するように繰り返される不思議な祈り。その間の海と空との簡潔な描写。「水平線は船縁(ふなべり)すれすれまで低い。その上には青い天球のような空がすっぽり架かっている」

そこに鳥柱(とりばしら)が立つ。くるくる、くるくると、数百羽の鳥が「まるで天空に透き通った螺旋(らせん)階段でもあるように」、上へ上へ昇っていく。空と海とを自在に行き来する飛族の壮麗な回廊だ。村田喜代子は島にのこった婆さまを書くなかで、無限の天地のなかに、こんな無形の建物をペンの力で建てる人なのだ。ついては意味深い母と娘のやりとり。

「人間は人に寄りついて暮らすものではねえて。長年ずっと土地に寄りついて生きてきたもんじゃ。地震、津波、火山が火を噴く。そんなことが起こってもその土地をなかなか動かんのはそのせいじゃ」

「……自分の娘より、この島の方がいいのね」

「海の人間が、どうして山さ行けるか」

「……」

この「……」のなかに空と海と人の吐息の出るような意味深い物語が仕込んである。そして今日もまた崖の上の畑で、イオさんとソメ子さんが鳥踊りを踊っているだろう。一群の鳥が鳴き交わしながら舞い降りてくる。群れ集まった「飛族」の荘厳な踊り。
飛族 / 村田 喜代子
飛族
  • 著者:村田 喜代子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(212ページ)
  • 発売日:2019-03-14
  • ISBN-10:4163909893
  • ISBN-13:978-4163909899
内容紹介:
朝鮮との国境近くの島でふたりの老女が暮らす。九二歳と八八歳。厳しい海辺暮らしとシンプルに生きようとする姿! 傑作長編小説。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年4月21日

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