書評
『戦争の悲しみ』(めるくまーる)
バオ・ニンが書いた『戦争の悲しみ』(めるくまーる刊)はいい小説だった。
これを読むとヴェトナム戦争と呼ばれる戦いがこの国の人にとっていかに長く苦難に満ちた独立のための闘争だったかが分る。この国の人達にとってばかりでなくアメリカの兵士達にとっても。それは悲惨な戦いだった。
作品の主人公は勝利した人民軍の兵士なのだが、彼等の恐怖・友情・逃亡や、麻薬で苦痛を忘れようとする行動や恋愛などにも作家の目が生きていて、青春小説・恋愛小説、私小説としてさえも読める。政府は「人民と国家の利益から逸脱する文学は許されない」と批判し、再版を認めなかったと解説にあった。それを見て私は敗戦前の我が国の言論統制の時代を思い出した。愚かなことだ。
フランスに行ってある出版社の人に会った時、一九五二年生れのバオ・ニンの話になった。日本ではごく最近翻訳された、と言ったら「日本はアジアなのに」と驚いていた。
この戦争のあいだ、我が国が何をしていたのだろうと考えると、日本がアジア各国ばかりでなく欧米の人達からも尊敬されない理由が分ってくるように思えてきてしまう。確かに、「ベトナムに平和を」という運動はあったけれども。
そんなことを考えながら、出かけたせいか、師走の風はひどく冷たかった。「火牛」という詩の同人誌忘年会にはもう二十人ほどの仲間が集っていて、今年出版された詩集の感想などがそれぞれから述べられた。詩は衰退しているのか、もしそうなら何故、ということも当然のように話題になった。私にはこの晩、詩のみならず文学全体の衰退が、ヴェトナム戦争を日本がどう受けとめたかというようなことと関係があるように思われた。皆、いまの我が国の政治や経済政策がひどいと口にするけれども、私達はそのひどさをしっかり見詰める文学者、詩人としての目を持てないでいるような気がしてならなかった。
これを読むとヴェトナム戦争と呼ばれる戦いがこの国の人にとっていかに長く苦難に満ちた独立のための闘争だったかが分る。この国の人達にとってばかりでなくアメリカの兵士達にとっても。それは悲惨な戦いだった。
作品の主人公は勝利した人民軍の兵士なのだが、彼等の恐怖・友情・逃亡や、麻薬で苦痛を忘れようとする行動や恋愛などにも作家の目が生きていて、青春小説・恋愛小説、私小説としてさえも読める。政府は「人民と国家の利益から逸脱する文学は許されない」と批判し、再版を認めなかったと解説にあった。それを見て私は敗戦前の我が国の言論統制の時代を思い出した。愚かなことだ。
フランスに行ってある出版社の人に会った時、一九五二年生れのバオ・ニンの話になった。日本ではごく最近翻訳された、と言ったら「日本はアジアなのに」と驚いていた。
この戦争のあいだ、我が国が何をしていたのだろうと考えると、日本がアジア各国ばかりでなく欧米の人達からも尊敬されない理由が分ってくるように思えてきてしまう。確かに、「ベトナムに平和を」という運動はあったけれども。
そんなことを考えながら、出かけたせいか、師走の風はひどく冷たかった。「火牛」という詩の同人誌忘年会にはもう二十人ほどの仲間が集っていて、今年出版された詩集の感想などがそれぞれから述べられた。詩は衰退しているのか、もしそうなら何故、ということも当然のように話題になった。私にはこの晩、詩のみならず文学全体の衰退が、ヴェトナム戦争を日本がどう受けとめたかというようなことと関係があるように思われた。皆、いまの我が国の政治や経済政策がひどいと口にするけれども、私達はそのひどさをしっかり見詰める文学者、詩人としての目を持てないでいるような気がしてならなかった。
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