書評

『アナイス・ニンの少女時代』(河出書房新社)

  • 2019/05/28
アナイス・ニンの少女時代 / 矢川 澄子
アナイス・ニンの少女時代
  • 著者:矢川 澄子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(223ページ)
  • ISBN-10:4309014658
  • ISBN-13:978-4309014654
内容紹介:
アナイス・ニンの膨大に残された無削除版『日記』を、限りない共感とともに、徹底的に読解することでかたちづくられた希有の評伝。少女時代の"謎"に迫る問題作「あるモデルの話」の新訳を収録。

時間は止まった、美少女よ永遠に

アナイス・ニンといっても、ご存じない方もおいでかもしれない。スペインの名ピアニスト、ホアキン・ニンの娘として生まれ、十一歳の時から、一九七七年の没年まで、ノート三万五千頁に及ぶ厖大な「日記」を書き残した女性作家。

「日記」にはヘンリー・ミラーをはじめとする前世紀の著名人たちとの性交渉が、女性の側からの赤裸々な告白として描かれてセンセーションを呼んだ。あまつさえ死後公刊の無削除版では実の父ホアキンとの父娘相姦(インセスト)までもが公開され、全米に衝撃が走った。

性の蕩尽が神秘体験につながってゆくアナイスの分裂した性生活からは、晩年にいたって、年下の極貧の芸術家たちを身のまわりに集めて援助してやる、神話的古代の大母のような顔が現れてくる。だが本書はそこまでフォローしない。少女時代という額縁に囲われて、まだ性的無葛藤のなかにいるアナイスの肖像にとどめた。彼女は銀行家の夫ヒューゴーと婚約して少女時代に別れを告げる。そしてそこでいきなりプツリと伝記はとぎれる。

著者の矢川澄子は、前著『「父の娘」たち-森茉莉とアナイス・ニン-』(新潮社)で、森茉莉の「なにひとつ苦しいことのなかった幼年時代」から晩年の孤独な死までをまるごと書いた。アナイスの場合も同じく、たぐい稀な父の娘として生まれた幸福と悲惨をまるごと書いた。が、この本では悲惨はオミットされ、少女は葛藤のない無時間に美しく凍結される。

ここからは書評の範囲を越える。著者からこの本がとどけられた日の朝、私は矢川澄子自死の報に接した。まさか。年をとったからこそ森茉莉や今の若い人のようにぐうたらで生活無能力、甘やかされ続けてきた「スポイルド・チャイルド」みたいな生き方をしましょうよ、と老人ホーム(!)の講演でアジった、童女の顔をしたこの人は、それなのに永遠の美少女の絵で表現の時間を止めてしまった。

おしゃれだな。いいよ。でもね、もっとあっけらかんとスポイルド・チャイルドで通してほしかったぜ、おスミさん。
アナイス・ニンの少女時代 / 矢川 澄子
アナイス・ニンの少女時代
  • 著者:矢川 澄子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(223ページ)
  • ISBN-10:4309014658
  • ISBN-13:978-4309014654
内容紹介:
アナイス・ニンの膨大に残された無削除版『日記』を、限りない共感とともに、徹底的に読解することでかたちづくられた希有の評伝。少女時代の"謎"に迫る問題作「あるモデルの話」の新訳を収録。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2002年06月09日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

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