書評

『セレモニー』(藤原書店)

  • 2019/06/15
セレモニー / 王 力雄
セレモニー
  • 著者:王 力雄
  • 翻訳:金谷 譲
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2019-04-26
  • ISBN:4865782222
内容紹介:
ITによる新しい民主主義? 中国で未刊行の問題作!
共産党結党記念と北京万博が重なる空前の式典年に勃発した感染症騒動と、その背後で蠢く「主席」暗殺計画――。全国民を監視下に置くITは独裁の完成形なのか、新たな「民主主義」への逆転のツールなのか?“ファーウェイ問題”の現在を予見する、過激な問題作!

AI技術が悪用される未来図描く

息がつまるような筋の運びと、周到な計算にもとづく物語構成の妙に久々に昂奮した。

主人公の李博は中国共産党中央国家安全委員会のシステムエンジニアである。田舎の出身ながら、苦学して首席で大学に入り、北京で国家公務員の職を見つけた。欧州留学帰りの女性と結婚し、一女をもうけた。マイホームも手に入れ、はた目には立志伝中の人物だ。しかし、彼は人に言えない悩みを抱えている。夫婦生活が思うようにいかないからだ。そのことは幸せそうに見える日常に暗い影を落としている。

彼は情報管理センターでSIDというプロジェクトの責任者である。SIDとはすべての靴に埋め込まれるICチップのことで、収集された情報はIoSという秘密のインターネットを通して管理されている。市民生活を監視するために作られたもので、その存在は国家の最高機密だ。

ある日、李博は遊び心でIoSを利用して妻の伊好の行動を覗いてみたら、偶然にも彼女の不倫現場を目撃した。やがて、夫婦とも別々の理由で上層部の激しい権力闘争に巻き込まれ、鋭く対立する政治勢力の双方から追われる身になった。

この作品の特徴はさまざまな小説の手法を取り入れ、自在に混合させることである。情報技術や人工知能の未来を描いた点では空想科学小説といえるし、政界の事件を主題にしている点では政治諷刺(ふうし)小説の性格も有している。市民生活を緻密に模写した意味ではリアリズム小説と親近性を持ち、事件の解決をめぐって、不安や緊張を掻(か)きたてる仕掛けがふんだんに盛り込まれている点ではいかにもサスペンス小説らしい。

エンターテインメント文学としては実に手の込んだ物語構成である。人物設定も筋立ても複式の二重構造になっている。政治権力を掌握している人たちは社会の上層部に位置し、彼らのあいだでは最高権力の掌握をめぐって、激しい権力闘争が繰り広げられている。

それに対し、李博とそのまわりの人たちは社会の下層部に属している。彼は二つの博士号を持ち、妻の伊好は疫学の専門家である。だが、専門知識が豊富でも、権力者にとっては取るに足りない存在だ。利用価値がなくなると、ポイ捨てにされるか、命が奪われるはめになる。

李博の日常はもう一つの世界とつながっている。彼を利用して、一儲けをしようと企んでいる靴会社の社長とそのまわりの人たちである。同じ下層部でも、複数の階層に分けられ、それぞれ別の生活空間を形成している。

李博には緑妹という秘密の愛人がいる。彼女は農村出身の娼婦(しょうふ)で、靴会社の社長が仕掛けた甘い罠が二人の馴れ初めであった。

緑妹の兄はもと武術学校の教官であったが、やくざの頭目になって一躍地元の有力者になる。彼らは社会の最下層で、長年抑圧されっぱなしであった。だが、いったん上からの締め付けが緩むと、彼らはたちまち暴力にたよって地域を制するようになる。緑妹との関係で、李博は社会の底辺部の世界ともつながっている。

細部描写においては、リアリズムの手法に徹している。登場人物たちがおかれている社会環境や都市空間は同時代の中国をそのまま映し出したもので、彼らの欲望や日々の暮らしは中国の現実に沿って描かれている。北京の官僚や、知識人の生態だけでなく、中央から遠く離れた農村の窮状と農民たちの暮らし、貧富の格差、役人や経済界の腐敗など、現代中国が抱えている問題はありのままに実写されている。

名もない庶民は巨大な力を持つ権力者のまえではなすすべもない。だが、社会的に弱い立場にある小人物でも、ときには権力闘争の行方を大きく左右することがある。全体主義国家は一見、金城鉄壁のように強固に見えるが、小人物の仕掛けた策略に騙されたり、あるいは彼らの些細な反抗にてんてこ舞いさせられたりすることもある。そして、一つのボルトが緩むと、巨大国家はまるで砂の塔のように一瞬にして崩れ去ってしまう。この作品は一面において、中国の未来を不気味に予言している。

肥大化する情報技術は必ずしも幸せな未来を保証するものではない。IoSという極秘のネットワークも、政敵の私生活を監視する「性交時靴間距離」測定システムも、性欲や記憶を操作するドリーム・ジェネレーターも、暗殺に使われる超小型ドローンの電子蜂も、むろんみな架空の情報関連機器やシステムに過ぎない。その近未来の世界では、技術の発達は社会の進歩をもたらすどころか、専制国家では市民のプライバシーを侵害する道具にされ、熾烈(しれつ)な政争のなかで権力者たちによってほしいままに悪用されている。

高度化した情報社会はどこへ行くのか。巨大企業による情報の独占は個人の自由空間をどう脅かすか。そうしたことは欧米でも広く社会的な関心を呼んだ。この作品は人工知能やビッグデータといった最新の技術が独裁政治に濫用(らんよう)されたときの怖さを、迫真の描写を通してまざまざと示している。背筋が凍るほど恐ろしい未来図である。
セレモニー / 王 力雄
セレモニー
  • 著者:王 力雄
  • 翻訳:金谷 譲
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2019-04-26
  • ISBN:4865782222
内容紹介:
ITによる新しい民主主義? 中国で未刊行の問題作!
共産党結党記念と北京万博が重なる空前の式典年に勃発した感染症騒動と、その背後で蠢く「主席」暗殺計画――。全国民を監視下に置くITは独裁の完成形なのか、新たな「民主主義」への逆転のツールなのか?“ファーウェイ問題”の現在を予見する、過激な問題作!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年5月19日

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