書評
『エラスムス――人文主義の王者』(岩波書店)
現代を予見した「もの書く男」
エラスムスはルターとの対比で語られることが多い。行動派で勇猛果敢な後者に対して、前者は思索的で優柔不断な人と、どちらかといえばエラスムスに分が悪い。しかし、本書を読むと、こうしたイメージは一変する。「もの書く男」としての生涯を貫いたエラスムスは、当時の絶対権力者、ローマ教皇を「世界のキリスト教会の疫病」と呼んだ。『痴愚神礼讃(らいさん)』では「どれほどさまざまな商売、どれほどの莫大(ばくだい)な収穫と、大海をも埋め尽くすほどの財貨」と、言い尽くせないほどの利権を手にした教皇を、類いまれな筆力で痛烈に批判している。この本が出版されたのは、ルターが宗教改革の狼煙(のろし)を挙げた1517年より8年も前のことである。
「エラスムスが卵を産み、ルターがそれを孵(かえ)した」宗教改革は、ルターによって「似ても似つかぬ雛(ひな)」(プロテスタントという巨大な怪鳥)となった。腐敗した巨大権力を撃ったのは、聖書を絶対とするエラスムスのキリスト教観であり、宗教改革の第一の栄誉は彼に帰してしかるべきだったのに、消し飛んだ。そのうえルター派からも教皇派からも敵視された。党派性を明らかにしなかったエラスムスに「安住の地はなかった」。
しかし、本書を読むと、そんなことはエラスムスにとってはどうでもよいとさえ思えてくる。彼の夢は「平和裡(り)にひとつの知的・文化的共同体が築かれること」だった。5世紀を経てその夢はカトリック・プロテスタントの和解と「不完全な形ながら、EU、『ヨーロッパ連合』という形でひとまずは実現を見た」。
エラスムスの現代性はこれだけにとどまらない。「『正義の戦争』という観念の虚偽性を暴」いた彼にとって「狂信と偏狭なナショナリズムこそが生涯の敵であった」
現代に必要なのは、時の権力にペン一本で立ち向かった、この絶対的平和主義者の強い意志なのである。
朝日新聞 2014年07月20日
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