「土地の起源」まで掘り起こす旅
地方は独自の歴史と、それゆえの多様性を持つと言われる。けれども現在、多くの地方都市には似たような駅舎と車道沿いの商業施設があり、その貌(かお)は均質化しつつある。市場が運び込む東京の流行にさらされると、地方の個性など風前の灯火(ともしび)であるかのようだ。それでもなお地域を「ここでなければ」と思わせる要因などあるものだろうか。気候や場所の特性ごとに異なる自然現象として、「微生物の生態系」がある。特有の微生物が生み出す産物は、その場所でしか得られない。移動すれば、生態系が変わってしまう可能性がある。そのように地域に土着した「発酵食品」を四十七都道府県それぞれに求め、訪ね歩いた旅の記録が本書である。
たとえば和歌山県の金山寺味噌。湯浅は熊野古道の宿場町だが、老舗である醸造蔵は古い建物を少しずつ直し、建て増ししている。物置には近代的な製造機器以前の道具も遺(のこ)る。麹(こうじ)の種つけでは一種のみから麹をつくる普通の味噌とは違って、米と麦と大豆の三種を混ぜる。その麹を漬け床にして、塩漬けした丸ナスやウリ、生姜などの野菜を樽に仕込み、紫蘇を薬味に加えて3~4カ月発酵させる。味噌と言いつつも漬け床ごと食べる漬物のようでもある。
こうした味噌(調味料)と漬物(食材)の不分離は、中国から持ち込まれた発酵食品「醤菜(ジャンサイ)」の名残と推測される。つまり金山寺味噌の醸造蔵を訪ねれば、建て増し前の蔵のみならず、外来の食品文化が伝搬した由来にも思いは及ぶ。それゆえ味覚に保存された「民族の記憶」を訊(たず)ねれば、背後にある「土地の起源」まで掘り起こす旅となる。
著者は自称「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする『発酵デザイナー』」。米を使わず蒸煮(じょうしゃ)した大豆に直接カビを付ける「八丁味噌」、伊予の海沿いでおからを酢飯にして青魚を握る「いずみや」、味噌の副産物であるたまりに野菜を漬け込んだ日光市今市の「たまり漬け」、海藻であるキリンサイの寒天を味噌漬けにした宮崎県・日南の「むかでのり」、サツマイモのデンプンを発酵させた対馬の「せん」等、文系と理系のあわいをとらえる文体に乗せられて、食べたいだけでなく産地を訪れたくもなる。
評者が本書を手に取ったのには訳がある。マタギから集落の古老まで訪ね歩いた近藤弘『日本人の味覚』(中公新書)は、味噌にかんし大豆に塩・麹を加えて造るみそを「三そ」、大豆と塩だけのみそを「二そ」(以上カビ発酵)、大豆だけのみそを「一そ」(バクテリア発酵)と造語で呼び、「一そ」がほぼ東北地方、「二そ」が八丁味噌を有する尾張・美濃・飛騨以北、「三そ」がそれより西と、日本列島を大胆に区分けする一九七六年の快著なのだが、その終章で怒りを込めて巨大食品企業を批判している。
グルタミン酸ナトリウムやイノシン酸ナトリウムを科学的に抽出した「旨味調味料」や食品添加物を加えた出汁やスープがマスメディアの広告で爆発的に普及すると、歴史的に多様化した(発酵食品を含む)地域の伝統的な味覚文化が崩壊し、「一様化」に向かうと危惧したのだ。現実はどうなったか。
意外なことに小倉は、この批判に「NO!」と答える。近年の日本酒ブームでは、少品種大量生産が頭打ちになった後、多品種少量生産で利益を回復する蔵がファンを開拓している。「小さなものは大きなものに回収されて消えてしまうのではなく、小さなままどんどん増えて大きな変化を起こすことができる」。希望が湧いてくる本だ。