書評
『かんがえるカエルくん』(福音館書店)
カエルくんとかんがえる
自宅から歩いて数分のところに実家があるので、毎週のように帰省(?)している。息子は週末、おじいちゃんに将棋(しょうぎ)を教えてもらったり、おばあちゃんに本を読んでもらったりして過ごすことが多い。記憶にはなき父の顔 シャボン玉吹きつづけおり孫と競いて
おばあちゃん、すなわち私の母によると、息子が不思議なほど読んでほしがる一冊があるという。
『かんがえる力エルくん』というその本は、たしか二年以上前に、叔母からプレゼントされたものだ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2008年)。
「なんだか、カエルくんが、ひたすら考えている本なのよ。特におもしろいできごとがあるわけでもないし、絵も単調で、大人から見ると何がいいんだかわからないんだけれど、とにかく、三回に一回は、この本を読んでって持ってくるわねえ」
それがもう二年も続いているのだから、何度読んでやったかわからないほどだと言う。
実家にある子どもの本の数が少ないというわけではない。むしろ、かなり多いほうだと思うのだが、その中で、なにゆえ『かんがえるカエルくん』なのか。興味深く思って、私も息子と一緒に、その本をめくってみた。
一見すると、ほとんど構図の変わらない四コマ漫画が並んでいる。その中でカエルくんが、「シジミのかお、どこにある?」とか「どこからが、そら?」とか、じーっと考えている。友だちのネズミくんも、つられて考えている。
「ミミズさんのかお」については、四コマが十二回。「そら」については、四コマが六回。そのあとも「ここもそら?」「そこはそらー?」……と、えんえんと空(そら)問題は続く。
ドラマチックなことは何も起こらないし、展開自体もまことにスローペースだ。だが、息子は、実に楽しそうに、カエルくんと一緒に「考えている」様子である。
カタツムリさんの目をつついてびっくりし、くちがあることを知って喜び、耳がないことを指摘してがっかりさせ、ショッカクというものを教えてもらい感心する。そのゆったりとした過程の一つ一つに、子どもは感情移入できるようだ。
思えば、世界は知らないことだらけ。子どもにとっては「トンボさんに顔があるかないか」ということも、この目で確かめてみなくては、わからない。
本の最後のほうでは「ぼくときみ」問題について、カエルくんは考える。「ぼくはぼくだけど……ネズミくんもぼくなんだ……」。そこから始まる長い長い思考の旅。「ネズミくんは、ぼくがいるから、きみなんだ」という気づきは、ある意味哲学的ですらある。
「どうして、このご本が好きなの?」と息子に聞いてみた。
「どうしてか、よくわからないんだけど、すき……よくわからないから、すき!」
わからないから、考える。それが、この本の魅力のようだ。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 2008年09月24日
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