後書き

『セレブの誕生―「著名人」の出現と近代社会―』(名古屋大学出版会)

  • 2019/10/10
セレブの誕生―「著名人」の出現と近代社会― / アントワーヌ・リルティ
セレブの誕生―「著名人」の出現と近代社会―
  • 著者:アントワーヌ・リルティ
  • 翻訳:松村 博史,井上 櫻子,齋藤 山人
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(474ページ)
  • 発売日:2018-12-25
  • ISBN-10:481580933X
  • ISBN-13:978-4815809331
内容紹介:
スキャンダラスな公共性――。メディア化された王族・政治家から作家・俳優まで、近代の公共圏が孕む逆説を問う。
王族・政治家から作家・俳優・音楽家まで「セレブ」と呼ばれる人たち。熱狂的なファン、連日報道されるゴシップ、SNS上での炎上……いったい彼/彼女らは何者なのか。
そんな「セレブ=著名人」を対象にした、斬新な研究で知られるアントワーヌ・リルティ氏が10月にフランスから来日。東京・日仏会館などで講演会が予定されている。今回は「訳者あとがき」を手がかりに、彼の著書『セレブの誕生』のエッセンスをひもといていく。

「セレブ」の光と陰

本書はAntoine Lilti, Figures publiques : l’invention de la célébrité 1750-1850, Fayard, 2014の全訳である。著者のアントワーヌ・リルティは1972年生まれで、現在、フランスの社会科学高等研究院(EHESS)教授を務めている。18世紀を中心とする時代の社会史・文化史に現代の社会科学的視点を取り入れた斬新な研究で知られる気鋭の歴史学者であり、『サロンの世界――18世紀パリの社交界とソシアビリテ』(Fayard, 2005)などの著書がある。そのリルティの『セレブの誕生――「著名人」の出現と近代社会』は、啓蒙主義時代からロマン主義時代に至る作家、政治家、俳優などの公的人物としての生活を「著名性(セレブリテ)」という観点から捉え直し、この新たな社会現象の成立がジャーナリズムの発達や市民階級の勃興などに象徴される近代性の確立と不可分に結びついていることを証明しようとする野心的な試みである。

マリー・アントワネットとダイアナ妃――「セレブ」は18世紀につくられた

リルティは本書の冒頭でソフィア・コッポラの映画を引き合いに出し、18世紀のマリー・アントワネットの宮廷生活を現代のダイアナ妃のセレブぶりと比較しているが、彼によれば、著名性のメカニズムは20世紀の映画やテレビの発明に始まるものでもなければ、近代以前からずっと存在していたものでもない。著名性の文化は18世紀の半ばに端を発し、スターを次々と生み出すシステムの大部分はそれに続く100年ほどの間に形作られたのである。ジャーナリズムの拡大や宣伝戦略の大規模化、そして文学・芸術や政治の商業化を背景とする著名性の成立は、文学者ヴォルテール、ピアノの超絶技巧で知られるリスト、オペラ歌手ジェニー・リンドなどの華々しい登場と熱狂的な人気によって象徴される。政治の世界でも、マリー・アントワネットやナポレオンのような歴史的人物たちが、こうした著名性のメカニズムに否応なく巻き込まれていった。著名人であることは、単に満足と幸福だけではなく、まさしく著名であるがゆえの苦悩をも伴うことがある。一方で著名性は、風紀や倫理の観点から、激しい告発と批判の対象になっていった。こうした著名性に内在する両面性を身を以て体験しつつ、同時にそれを余すところなく言葉で表現し尽くしたのがジャン=ジャック・ルソーである。

18世紀の「スター」作家、ジャン=ジャック・ルソー――「セレブ」の経験

本書はルソー論から出発したとリルティ自身が述べている通り、この思想家が体現することになった「著名性」の分析にあてられた第5章は、構成の上でも内容の上でも最も重要な位置を占めている。貴族の娘と平民の家庭教師との禁じられた恋を主題とした小説『新エロイーズ』によって、ルソーは瞬く間に著名性を獲得したが、この作品によってルソーが読者との間に築いた親近性を、リルティは現代とは異なる心性の上に成立するものとして捉えるのではなく、20世紀以降の「スター」と「ファン」との関係になぞらえる。ここでリルティは、「方法的アナクロニズム」とでもいうべき視点を挑発的かつ効果的に用いている。さらにルソーの自伝三部作の一つであり、『エミール』や『社会契約論』の断罪後、さまざまな苦難を経験したこの作家の迫害妄想の産物として解釈されてきた難渋なテクストである『ルソー、ジャン=ジャックを裁く――対話』に関して、公衆によって自らのイメージが絶えず歪曲されていると主張するルソーの「妄想」を、リルティは作家の特異な心理的病質に還元せず、著名性の経験として理解しようとする。同じ自伝的著作であっても『告白』ばかりが頻繁に読まれ、『対話』が読まれないのはなぜか。一見、ルソー研究に固有のものと見えるこの問いは、おそらくは歴史学においてこれまで著名性のテーマが十分に注目されてこなかったことと関係づけられる。逆に言えば、著名性というテーマが見出されることによって初めて、『対話』という作品が読解可能になるのだ。このように文学・作家研究の死角と歴史学研究の死角とを結びつけ、両者を連動させながら解き明かそうとするリルティの手法は、先鋭な戦略と問題意識とに基づいている。

今日の現象から過去を読み解く――戦略としての「アナクロニズム」

リルティがルソーの分析に戦略的に用いているこうした「アナクロニズム」は、本書の大きな魅力の一つになっている。これはリルティのアプローチが単に逆説的あるいは挑発的ということではなく、彼の歴史観と直接に関わっている。ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』が一つの象徴的な例になっているように、高度にメディア化された現代社会の特徴の一つと思われがちな「著名性」あるいは「著名人=セレブへの公衆の注目」という現象を通して初めて、18世紀後半から19世紀前半にかけて起こっていた歴史的な地殻変動が理解しうるという発想である。まさに私たちの生きる現代のアクチュアリティと近代初期という数百年前の時代のアクチュアリティを相互に共鳴させているところに、この本のスリリングな迫力がある。確かに現代と過去とを不用意に接近させるのは、歴史学的な方法として危険を伴う面はあるかもしれないが、著名性というものが現代のメディア社会において圧倒的な存在感を示し、そのほとんど狂気とも言える側面を日々目にしているわれわれだからこそ、その萌芽と向き合い始めていた時代の歴史意識ないし危機感と巡り合うことができるのだ。20世紀以降のスター、ファン、パパラッチといった文化現象の展開があって初めて、18世紀から19世紀にかけての、ヴォルテール、ルソーからバイロン、リストに至る「著名性」の歴史的な意味が理解できるとリルティは言わんとしているのだろう。

歴史上の人物や大事件だけではなく――「アナール学派」の手法

もう一つ特筆すべきことは、リルティのまなざしが、いわゆる歴史上の偉人にのみ向けられているわけではないということである。1778年にパリのコメディー=フランセーズで行われたヴォルテールの戴冠という歴史的事件を「著名性」の歴史の出発点に置きながら、このフェルネーの長老と当時人気があった大衆喜劇役者とを、ともに公衆の好奇心を集める有名人であるという理由で同列に扱ったり、あるいはヨーロッパ中の人々の注目を集めた舞台上のスター(俳優、女優、カストラート)や、当時の定期刊行物をにぎわせた犯罪者の著名性の問題にまで視野を広げて検討を進めている。こうした発想には、歴史上の重要人物の言動や大事件にのみ関心を寄せるのではなく、旧来の事件史からはこぼれ落ちてしまうような感性の歴史の解明を目指すアナール学派の手法との連続性が見出されるようにも思われる。実際、リルティが2006年から2011年まで『アナール』の編集長を務めていたことは忘れてはなるまい。

今日まで続く「セレブ」現象のヴァリエーション

著名性が内包する光と陰というテーマは、20世紀以降に発展した音声・映像メディアを用いた作品にも刻印されている。リルティは終章においてエリア・カザン監督の映画『群集の中の一つの顔』を分析しているが、本書に登場する興行師バーナムを主人公とし、ヴィクトリア女王や歌手ジェニー・リンドまで登場する最新のミュージカル映画『グレイテスト・ショーマン』も、著名性をテーマとする映画の系列に加えることができるだろう。著名性の文化は、21世紀の今日でさえ最もアクチュアルな関心の対象であり続けている。著名性は、誰もが羨望する華々しさとは裏腹に、はかなく、表面的で、通俗的なものとして非難され、さらには個人の私生活を容赦なく人目にさらし、過剰な広告によって人々を欺くとして批判の対象になってきたが、こうした著名性のメカニズム自体は、18世紀半ばから100年ほどの間に形作られ、その根幹となる要素が常に拡大を続けながら、今日までさまざまなヴァリエーションを生み出してきたのである。

[書き手]松村博史、井上櫻子、齋藤山人(訳者)
セレブの誕生―「著名人」の出現と近代社会― / アントワーヌ・リルティ
セレブの誕生―「著名人」の出現と近代社会―
  • 著者:アントワーヌ・リルティ
  • 翻訳:松村 博史,井上 櫻子,齋藤 山人
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(474ページ)
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スキャンダラスな公共性――。メディア化された王族・政治家から作家・俳優まで、近代の公共圏が孕む逆説を問う。

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