書評
『脳を鍛える―東大講義「人間の現在」』(新潮社)
大学がおかしい! 国民にひろがる危機感を背に、ジャーナリスト立花隆氏が、古巣の東大駒場に乗り込んだ。異色の講議「人間の現在」にもとづく書き下ろしである。
最近の教育事情は、信じられないことばかりだ。一般教養がばっさり、十八単位に半減された。七〇年代、九〇%以上が高校で学んだ物理が、今はわずか一〇%強。本も読まず、授業にもついていけない大学生は、昔の高校生並みである。教壇の立花氏も、ついつい説教口調になる。
講議のテーマは自然科学を柱にした、人間の知の発展史だ。脳研究から理論物理、ヴァレリー研究まで、これまでの著者の探索の成果を惜しみなく紹介する。受験勉強ばかりやってきた東大生には、かなりショックかもしれない。
文系の人間に、理系の知識がまるで足りない。文学や歴史も自然科学も、両方わからないと本物の知性ではない。授業をさぼってもいいから、本という本をめちゃめちゃ読みなさい。大賛成である。
という著者のサーヴィス精神あふれる本だが、この講議シリーズがよく売れるなら、それはそれで心配である。
まず、文系/理系にまたがるスケールの大きな講議が、それだけ珍しいということ。この講議には原典が何冊もあるが、それを読まずにこれ一冊ですませる横着者が多いためもあろう。難解な本を山と読み、友人と徹夜で議論する代わりに、この講議本でああそうかそうかと、わかったつもりになられても困る。
旧制一高の伝統も、エリートの気概も、駒場から消えて久しい。いまやただの学生にすぎない若者に、著者はけっこう昔ふうの教養を求める。専門に進む前に教養を押しつけても、抑圧としか感じないのではと心配になる。
立花氏は「純粋観客」、外野からの知の世界の全体像をながめる専門家を自認する。いっぽう学生たちは、これから細分化された専門に進み、その先端で知の全体像を求めて苦しむ当事者である。それならこの授業に出てお説教を聞く暇に、下宿で山ほど本でも読んでいるほうが正解かもしれない。
【この書評が収録されている書籍】
最近の教育事情は、信じられないことばかりだ。一般教養がばっさり、十八単位に半減された。七〇年代、九〇%以上が高校で学んだ物理が、今はわずか一〇%強。本も読まず、授業にもついていけない大学生は、昔の高校生並みである。教壇の立花氏も、ついつい説教口調になる。
講議のテーマは自然科学を柱にした、人間の知の発展史だ。脳研究から理論物理、ヴァレリー研究まで、これまでの著者の探索の成果を惜しみなく紹介する。受験勉強ばかりやってきた東大生には、かなりショックかもしれない。
文系の人間に、理系の知識がまるで足りない。文学や歴史も自然科学も、両方わからないと本物の知性ではない。授業をさぼってもいいから、本という本をめちゃめちゃ読みなさい。大賛成である。
という著者のサーヴィス精神あふれる本だが、この講議シリーズがよく売れるなら、それはそれで心配である。
まず、文系/理系にまたがるスケールの大きな講議が、それだけ珍しいということ。この講議には原典が何冊もあるが、それを読まずにこれ一冊ですませる横着者が多いためもあろう。難解な本を山と読み、友人と徹夜で議論する代わりに、この講議本でああそうかそうかと、わかったつもりになられても困る。
旧制一高の伝統も、エリートの気概も、駒場から消えて久しい。いまやただの学生にすぎない若者に、著者はけっこう昔ふうの教養を求める。専門に進む前に教養を押しつけても、抑圧としか感じないのではと心配になる。
立花氏は「純粋観客」、外野からの知の世界の全体像をながめる専門家を自認する。いっぽう学生たちは、これから細分化された専門に進み、その先端で知の全体像を求めて苦しむ当事者である。それならこの授業に出てお説教を聞く暇に、下宿で山ほど本でも読んでいるほうが正解かもしれない。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 2000年6月11日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
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