コーヒーは過去十年ほどのあいだ、皆が「口に」するようになった。飲むと気分を高揚させる飲みものとしてだけでない。コーヒーは気候変動の議論にも登場し、イノベーションのテーマとしても、忙しい日常にほっと一息つけるものとしても、心臓機能を改善する効果を持つもの、逆に心臓麻痺の原因としても、いつどこにでも登場するほどの頻度で語られている。
ユフラ・モッカやクルタ・カトリーナ(フィンランドで最も消費量が多い安価なドリップコーヒー商品の二つ)を普通のコーヒーだと思っている人たちの意識を、もう一歩前へ、つまりはサステナブルな方向へ進めてみようという考えは、ヘルシンキのしゃれたエリアにあるメキシコ料理屋でランチを食べ終わったころに生まれた。どうやったら世界をもっと良くできるのか、自然に寄り添った方法や持続可能性(サステナビリティ)や気候変動といった話題を、中年に達したヒップスターらしく私たち二人は話し合った。
まじめに話すには気恥ずかしい話題の数々ではあったが、それでも真剣な部分もあり、自分達なら何かできるんじゃないかということも分かっていた。
ラリはコーヒー業界の人間だ。
そしてペテは出版社の編集をやっている。
私たち、ラリとペテは学生時代ルームメイトで、コミュニケーション学を一緒に学び、バンドを一緒にやっていた仲だ。昔から青臭い話もたくさんしてきたし、真っ向から議論をした事もある。
この二人が本を書かなかったら誰が書くんだ? これまで書かれたことがないようなコーヒー本を出そうじゃないか、と頷きあった。
悲観主義者が――または現実主義者と言ってもいいが――三〇年後コーヒーは存在しないという未来予想図を描いて見せる今、もう行動は起こす時期に来ている。気候変動が作地面積を狭め、同時にコーヒーの人気はお茶文化の国でもうなぎのぼりだ。もし私たちが美味しいものを味わい続けたいのなら、コーヒーとの関係も変わるべきだ。どこから豆が来ているのか知るべきだし、栽培環境やサステナビリティも忘れてはならない。量より質、つまり大量にコーヒーを淹れて飲み残しを捨てるのではなく、少なく、大切に、美味しい豆を挽いて淹れるべきだ。
私たち二人は、最初はまだどこに向かっているのかは分かってはいなかったが、少なくともストックホルムとサンパウロへ行くことは明らかだった。今こうして出来上がった本を手にして、FAF農場の豊かでむせるような土の香り、そして栽培農家のマルコスが樹齢千年の木の下で演説をぶった時の温かい声が行間から立ち上るような気さえする。二〇一五年の五月にヘルシンキのメキシコ料理屋で生まれた当時の考えはいまだに変わっていない。一人一人の小さな行動から大きな変化のうねりを作り出せるのだから。
[書き手]
ペトリ・レッパネン 1975年生まれ。出版社勤務のノンフィクション・ライター。
ラリ・サロマー 1977年生まれ。コーヒー業界に20年、起業しコンサルタントに。