前書き

『文庫 モンゴル最後の王女: 文化大革命を生き抜いたチンギス・ハーンの末裔』(草思社)

  • 2019/12/19
文庫 モンゴル最後の王女: 文化大革命を生き抜いたチンギス・ハーンの末裔 / 楊 海英,新間 聡
文庫 モンゴル最後の王女: 文化大革命を生き抜いたチンギス・ハーンの末裔
  • 著者:楊 海英,新間 聡
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(326ページ)
  • 発売日:2019-12-05
  • ISBN-10:4794224281
  • ISBN-13:978-4794224286
内容紹介:
1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。17歳の冬、父の従者だったボロルディと結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、… もっと読む
1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ
最後の王女スチンカンルが生まれた。
17歳の冬、父の従者だったボロルディと結婚し、一人息子に恵まれて
穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。
スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、使役に駆り出され、
祖先を祀る聖地を開墾する屈辱に甘んじなければならなかった。
そして、あの文化大革命が始まる――。

著者の楊海英氏自身も内モンゴル・オルドスの出身。
中国で現在もなお続く苛烈な民族問題の知られざる実態を、激動を生き抜いた
女性の半生を通じて描きあげた迫真のドキュメンタリー。
『チンギス・ハーンの末裔』改題


はじめに 写真が語る歴史

第一章 黄金家族のたそがれ
 チンギス・ハーンの末裔
 名門西公シャンの没落
 共産党のアヘンと小銃
 従者と結婚した王女

第二章 草原の夜明けの星
 草原の人民政府
「積極分子」の婦女主任
 生産互助組の誕生
 人民のための活躍
「共産党のためなんだ」

第三章 草原に上った赤い太陽
 階級ごとに二分された合作社
 牧主階級を批判せよ
 モンゴル人の「独立王国」
 右派をつまみ出せ
 中国に貢献したモンゴル人の頭飾り

第四章 モンゴル高原にのしかかる中国の黒雲
 生態を無視した深耕作業
 王侯貴族を打倒せよ
 病んだ母に会えぬ「黒五類」
 拝火祭の夜の葛藤
 豚小屋で寝られた喜び

第五章 中国人の「牛鬼邪神」
 開墾された祖先の墓域
 屍肉の誘惑
 教育権を奪われたモンゴル人
 悲嘆の故郷
 中国に奪われた財産

第六章 吹きすさぶ文革の嵐
 政治的厄災の予感
 フランス製の柱時計と頭飾り
 殺気だつ批判闘争集会
 造反派の暴力
「反省する」モンゴル人

第七章 名誉回復への道
 ロバに乗せられた「女妖怪」
 中国人からの復讐
 文革時の生と死
 林彪事件のおかげ
「だれをも恨まない」
1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。父の従者と結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。本書は、激動を生き抜いた女性の半生を通じて、中国に未だ残る苛酷な民族問題を描いた迫真のドキュメンタリー。以下に、著者による文庫版まえがき(初出:月刊WiLL2014年2月号。文庫まえがきという趣旨に沿って改稿)を掲載する。

モンゴルと日本の特別な関係

何故、中国はこれほど多種多様な民族問題を抱えているのか。民族問題の背後に何があるのか。民族問題を当事者たちはどのように生きぬいたのか。本書は文化大革命を経験した一人のモンゴル人女性の現代史から、中国の民族問題の発生の原因と性質をさぐろうとするものである。

中国の民族問題と言えば、チベットとウイグルのことがよく取り上げられる。チベットに関しては国際的な草の根の支援運動が広まっているからであろう。一方、ウイグルはイスラーム圏と繋がっているということで、近年注目されている。それはキリスト教文明と中華文明がイスラーム文明と相容れず、イスラームが誤解され、敵視されていることも原因のひとつだと指摘されている。しかし、チベットとウイグルだけでなく、私はむしろ、中国の抱えるいちばん深刻な問題は、モンゴルに対する弾圧なのではないかと考えている。

そして、中国によるモンゴルへの弾圧を日本で語る意義を、私はいつも強調している。というのは、モンゴルは日本と特別な関係にあった。それは明治維新以降、日本人が早くから出会って、一番気持ちよく付き合ってきた、仲良くしてきたのはモンゴル人であったからだ。近代になって日本が海外へと植民地を開拓していったのは台湾、朝鮮半島、そして満蒙。その満蒙の半分「蒙」は、言うまでもなくモンゴルのことである。

そして結論的にいうと、今日、アジアで最も親日的なところは台湾とモンゴルである。昨今の日韓関係からも分かるように、朝鮮半島とは非常にややこしい関係になっている。日本側がいくら努力してもなかなか許してもらえないというか、とても偏狭な、恨みの塊のようになっているところがある。それに比べ、台湾とモンゴルは全然違う。信頼と友好の関係がある。そこを私は非常に大きいと思っている。これが、日本でモンゴルの問題を語る意義である。

少数民族へのジェノサイド

さて、そんなモンゴルに関して、ここにとてもショッキングな数字がある。大量虐殺のデータである。

1966年、中国で文化大革命が勃発した時、内モンゴル自治区には150万人弱のモンゴル人が住み、一方、長城の南から侵略してきた中国人はその九倍にも達していた。そして、自らの故郷において圧倒的な少数民族に追い込まれていたモンゴル人たちは、全員が中国共産党による粛清の対象となり、結果1976年までの10年間に、34万6000人のモンゴル人が逮捕され、12万人が身体障害者になって、2万7900が殺害された。

ただし、これは中国政府が公式に発表した数である。私は少なくとも10万人が殺害されたと見ている。私だけでなく英米の社会学者も、複数の人が複数の地域でサンプリング調査していくと、やはり10万人の殺害という数字に行きつく。

これに「遅れた死」、つまり逮捕され拷問を受け、何とか家に帰れたものの後に亡くなった人を加えると、文化大革命によるモンゴル人の犠牲者は、およそ30万人に達すると言われている。内モンゴル自治区のモンゴル人研究者たちはどちらかというと、この数字の方が、信憑性があると理解している。

これはとても大きな数字である。先ほど申し上げたように当時の人口は150万人弱であるから、ひとつの家庭から1人が捕まり、15人に1人が殺害され、「遅れた死」を含めると5人に1人が亡くなったことになる。これら中国に暮らすモンゴル族全体が受難していた凄惨な歴史を、私たち研究者及び当事者たちは、中国共産党政府と中国人が一体となって進めたジェノサイド(大量虐殺・民族浄化)だと理解している。

そしてここが大切なところなのであるが、このように多くの人々が殺害された原因が、モンゴル人たちが日本の植民地時代に、日本人と仲良くした、「対日協力」をしたということだからである。

最初に私が「中国によるモンゴルへの弾圧を日本で語る意義」と言った意味は、まさにこの点にある。「満蒙時代にモンゴル人は日本と仲良くしていた」「これは許せない行為である」、その口実でモンゴル人が大量に虐待・虐殺されたわけである。そのため、私はこのモンゴル人粛清問題をぜひ日本人に知ってもらいたいと思っている。これは日本の人たちにぜひとも考えていただきたい、アジアに於けるもうひとつの歴史、生き方の歴史である。

モンゴル人の遊牧生活を守る

モンゴルの近現代史を少しだけ説明してみよう。1911年に辛亥革命があって、翌年に満洲人の清朝が打倒されて以降、モンゴル人は中国から離れて別の国を作りたいと努力してきた。そして、モンゴル高原の北側にはモンゴル人民共和国が出来て成功したが、南の方は中国の軍閥や入植者、農民がたくさんいたので出来なかった。モンゴル高原の南半分を俗に内モンゴルと呼ぶが、「内」という字には中国からの視点が含まれている。その内モンゴルに進出してきたのが日本であった。満蒙開拓団という一般人もいれば、国家として、満洲国も創建された。

そこで日本がどういう政策を取ったかというと、中国人の侵略者たちに「それ以上侵略するのは、やめなさい」と言った。そしてモンゴル人がいちばん大事にしている、遊牧生活をきちんと守る政策を打ち出した。というのは何故モンゴル人たちが遊牧をあれだけ大事にするかというと、モンゴルの草原というのは、一見真緑に見えても、実は地層の栄養素がとても薄いからである。開墾して、農耕地にしようとするとたちまち沙漠になってしまう。

つまりモンゴル人たちが放牧をするのは、長い経験から大地の脆弱さを知っていたからである。その自然環境と遊牧文化を守りたかった。しかし入植していた中国人たちはかまわず開墾して無理やり農耕化していた。

一方、日本人は現地を調査して、このモンゴルの地は開墾してはいけないとすぐに理解した。日本は植民地化を進める際、満蒙に学者を派遣して調査させていたからである。その学者たちがたいへん建設的な提案をした。そこで内モンゴルでは、モンゴル人はそのまま遊牧を続け、中国の入植者たちはこれ以上農耕地を開拓しない方がいいと、すこぶる合理的な政策が実施された。

これが、モンゴル人たちが日本人に対して好意的になった理由である。彼らは後に中国から「お前達は日本軍に協力しただろう」と言われ粛清の対象にされるが、それは中国に対して意味もなく反発していたわけではない。日本の対満蒙政策が非常に道理にかなっていたからである。

民族問題は「内政問題」ではない

このように考えていくと、モンゴル人が大量に虐殺されたことが、いかに日本と繋がっているかをご理解頂けると思う。つまりこれは日本の問題でもある。要するに国際問題なのである。中国はいつも「民族問題は内政問題だ」と強弁するが、それは違う。民族問題はすべて国際問題である。

何故ならモンゴル人を殺すということは、言わば間接的に、対日の歴史を再清算していることになるではないか?毛沢東と周恩来は「日本からは賠償は要らない」と言った。そう言っておいて、一方でモンゴル人には「お前たちは日本に協力しただろう」と因縁をつけ、粛清ないしは処刑したわけである。これが対日の歴史の間接的な清算であり、歪曲的なすり替えでなくて何であろうか。

これは中国における他の地域でも同様である。

チベットの問題では、チベット人は文明的にインドと繋がっているので、一九五九年にダライ・ラマ法王が亡命して今に至る。これはすなわちインドとの国際問題である。インドと中国が仲良くなれないのは、ダライ・ラマの亡命政権を抱えているからだし、インド人たちはダライ・ラマにシンパシーがあるから上手くいくはずがない。

新疆ウイグル自治区の問題でも、ウイグル人はトルコ系の民族である。トルコ系の人たちは全体で今、中央ユーラシアに数億人いる。東はウイグルから西はトルコ共和国のアナトリアまで、各国に分布して暮らしている。彼らは皆言葉はすぐに通じるし、同じ価値観を持っているので、ウイグル人が中国で弾圧されていると、中央アジアの数億人の仲間たちは当然黙ってはいられない。それらの国は建前上「内政相互不干渉」と言うが、心情的にはやはりウイグル人が抑圧されていることには同情的である。そうするとこれはやはり、間違いなく国際問題である。

それに関して中国は常に「モンゴル、チベット、ウイグルの問題は解決済みだ」と詭弁をする。たとえば現在でもモンゴルでは中国政府や中国人即ち漢民族に対する抵抗運動はしばしば起こっているが、それに対して中国が行うのは、「あれは刑事事件」だと言って片付けることである。

ウイグル人に対しては、「彼らはテロリストなんだ」と言い張る。2014年の10月に天安門広場でウイグル族一家による自動車炎上事件があった。あれに関しては日本でも「抗議の投身自殺だったのではないか」という見方があったが、中国は一貫して「いや、テロ事件である」と宣伝している。

「テロ」だと言えば国際社会が納得すると中国人は思っている。ウイグル人はイスラーム教信者だから、そしてアメリカは今イスラーム過激派と戦っているから、「イスラームだからテロリストなんだ」と、そう言っておけば正当性が保てると思いこんでいる。

繰り返し強調するが、民族問題はすべて国際問題である。中国はそれを歪曲し矮小化し、国際社会の眼を誤魔化そうとしているだけである。だから、中国に於ける民族問題は、何ひとつ解決していないのである。

ヤルタ協定という密約の犠牲者

そしてもうひとつ、日本の合理的な対満蒙政策に賛同し協力してきたモンゴル人たちだったが、第二次世界大戦で日本が敗退、満蒙から撤退するにあたり、今度はソ連と一緒になりたいと考えるようになる。内モンゴルの人たちも決して中国を選ぶことはなかった。モンゴル人民共和国の成立と民族の統一を実現させて、ソ連圏に入りたいと望んだのである。

しかしこの時、ヤルタ協定という密約が結ばれ阻まれてしまう。この密約は、対日敗戦処理を巡る秘密協定である。ここでソ連、アメリカ、イギリス、中華民国が密談をして、ソ連が満洲に出兵する代わりに南モンゴルは中国が支配するという、言わば裏取引がなされるのである。

私は今、日本もモンゴルもこの裏取引を問題視すべきだと考えている。何故かというと、このヤルタ協定とはそもそも対日敗戦処理の協定であって、モンゴルのその後を決めるものではなかった。しかもモンゴル人と日本人は誰一人出席していなかった。当時、独立国家として存在していたモンゴル人民共和国も代表を派遣していないし、内モンゴルからも参加していない。満洲国のモンゴル人もいなかった。

モンゴル人のいないところでモンゴル人の運命を決める──そして内モンゴル、つまりモンゴル人の半分を中国へ売り渡す結果になってしまった。しかも、戦勝国が敗戦国に対する処理をするという密約の中で、言わばどさくさ紛れのように運命が決められた。これはモンゴル人にとって非常に不平等かつ不名誉な取り決めと言わざるを得ない。そして、日本の北方四島がソ連に引き渡されることになったのもまた、ヤルタ協定によるものである。

結局、内モンゴルは中国に占領されてしまうわけだが、占領されて終わるだけではなく、中国はモンゴル人に二つの罪を負わせてきた。ひとつは既述したように「満蒙時代に対日協力した罪」。そしてもうひとつが、日本人が撤退した後は中国を選ばずに、モンゴル人同士でひとつの国を作りたいと望んだ、つまり中国に言わせれば「中国から分離独立をしたいといった罪」である。この二つが罪となって、十万人ものモンゴル人が被害に遭う大量虐殺が開始されたのである。

「西部大開発」の行きつく先

中国人は何故、このような暴力性と残虐性をもってモンゴル人を虐待したのだろう?たんに性衝動に駆られてレイプするということに留まらず、非常に残虐な形で、組織的に犠牲者を傷つけたり殺したりしている。私はそこには、中国人が四千年の長きにわたって持ち続けている傲慢な選民の思想、中華思想があると考えている。

中国は1990年代末から、国をあげて西部大開発という計画を進めてきた。内モンゴル自治区と新疆ウイグル自治区など、歴史的にずっと遊牧民たちが住んできた地域を経済的に発展させようという国家プロジェクトである。

かつて日本人が満洲から撤退した後、中国人(漢民族)たちは現地の自然環境を無視して遠慮なく開墾し、広大な草原を沙漠に変えてしまった。現在黄沙が遠く日本列島にまで飛んで来るのはそのせいである。彼らは何故そんなことをしたのか?そこには農耕と工業は遊牧よりもはるかに先進的で、「立ち遅れたモンゴル人」は中国に同化すべしという中華思想があったからである。

それが21世紀から始まった西部大開発ではさらに強まっているし、現在ではいわゆる「一帯一路」(陸上と海上のシルクロード)政策で更に膨張を続けている。今中国人が狙っているのはモンゴルやウイグルにある豊富な地下資源である。主に石炭と天然ガス、そして石油。レアアースにウランもある。すべて彼らが手放したくないものばかりで、対外拡張に欠かせない資源である。

大量の中国人が移住し、傍若無人な乱開発が進められている。中国政府はそこを「新天地」だと吹聴している。西部大開発と「一帯一路」は「文明的な中国人」が大量に移住して、「野蛮人のモンゴル人とウイグル人」を文明社会へと「助ける行為」なのだと宣伝している。

こうした背景のなか、2011年5月11日には、内モンゴル自治区中央部のシリーンゴル草原にて、一人のモンゴル人遊牧民が殺害された。この付近では石炭の露天鉱が発見されており、連日昼夜数百台のトラックが殺到している。中国人による圧倒的な数のトラック隊は、草原を無秩序に走り廻って脆弱な植被を壊して土地を沙漠に変え、家畜を轢き殺しても弁償もしなかった。遊牧民たちは政府に陳情したものの無視されたため、自発的に立ち上がり環境に配慮した石炭発掘を求めている。

しかし中国人は「モンゴル人を殺しても40万元(約500万円)払えばことは済む」と暴言を吐きながら、トラックの前に立ちはだかった三十代の男性を衆人環視のもと故意に轢き殺したのである。当然その直後から内モンゴル各地で抗議デモが発生したが、すべて政府によって鎮圧され、多数のモンゴル人が逮捕された。そう、歴史はまた繰り返されようとしている。

中国が今後も大国になっていこうとするならば、これら少数民族の故郷に対する傍若無人な開発は続くであろう。何故ならそこに埋蔵されている豊富な地下資源なしに、中国の継続的な経済発展は望めないからである。これはもう自治ではなく植民地支配である。そして、新疆においては、先住民のウイグル人が百万人単位で強制収容所に閉じこめられ、国際的に非難されている。

そしてこの帝国主義化はモンゴル、ウイグル、チベットに留まらず、その他の東南アジアの小さな国にまで広がっていきつつある。日本に対しても2014年5月、中国共産党機関紙人民日報が「沖縄は日本により簒奪されたもの」であり、「琉球処分問題は歴史的に未解決」と伝えたのではないか。

以上で述べてきたように、中国の民族問題はすべて国際問題である。そしてこれらの民族問題は、日本とも決して無縁ではないのである。

本書は、一人のモンゴル人女性の生き方から、中国の民族問題の背景と本質を描こうとしたものである。本書は文化大革命期に特化しているが、文革期ほど社会主義中国を代表する時代はほかにないからである。

[書き手]楊海英(よう・かいえい):モンゴル名オーノス・チョクト。内モンゴル自治区オルドス生まれ。2000年に日本へ帰化。日本名は大野旭(おおの・あきら)。静岡大学教授。
文庫 モンゴル最後の王女: 文化大革命を生き抜いたチンギス・ハーンの末裔 / 楊 海英,新間 聡
文庫 モンゴル最後の王女: 文化大革命を生き抜いたチンギス・ハーンの末裔
  • 著者:楊 海英,新間 聡
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(326ページ)
  • 発売日:2019-12-05
  • ISBN-10:4794224281
  • ISBN-13:978-4794224286
内容紹介:
1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。17歳の冬、父の従者だったボロルディと結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、… もっと読む
1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ
最後の王女スチンカンルが生まれた。
17歳の冬、父の従者だったボロルディと結婚し、一人息子に恵まれて
穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。
スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、使役に駆り出され、
祖先を祀る聖地を開墾する屈辱に甘んじなければならなかった。
そして、あの文化大革命が始まる――。

著者の楊海英氏自身も内モンゴル・オルドスの出身。
中国で現在もなお続く苛烈な民族問題の知られざる実態を、激動を生き抜いた
女性の半生を通じて描きあげた迫真のドキュメンタリー。
『チンギス・ハーンの末裔』改題


はじめに 写真が語る歴史

第一章 黄金家族のたそがれ
 チンギス・ハーンの末裔
 名門西公シャンの没落
 共産党のアヘンと小銃
 従者と結婚した王女

第二章 草原の夜明けの星
 草原の人民政府
「積極分子」の婦女主任
 生産互助組の誕生
 人民のための活躍
「共産党のためなんだ」

第三章 草原に上った赤い太陽
 階級ごとに二分された合作社
 牧主階級を批判せよ
 モンゴル人の「独立王国」
 右派をつまみ出せ
 中国に貢献したモンゴル人の頭飾り

第四章 モンゴル高原にのしかかる中国の黒雲
 生態を無視した深耕作業
 王侯貴族を打倒せよ
 病んだ母に会えぬ「黒五類」
 拝火祭の夜の葛藤
 豚小屋で寝られた喜び

第五章 中国人の「牛鬼邪神」
 開墾された祖先の墓域
 屍肉の誘惑
 教育権を奪われたモンゴル人
 悲嘆の故郷
 中国に奪われた財産

第六章 吹きすさぶ文革の嵐
 政治的厄災の予感
 フランス製の柱時計と頭飾り
 殺気だつ批判闘争集会
 造反派の暴力
「反省する」モンゴル人

第七章 名誉回復への道
 ロバに乗せられた「女妖怪」
 中国人からの復讐
 文革時の生と死
 林彪事件のおかげ
「だれをも恨まない」

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