本文抜粋

『世界史のなかの東アジアの奇跡』(名古屋大学出版会)

  • 2020/10/14
世界史のなかの東アジアの奇跡 / 杉原 薫
世界史のなかの東アジアの奇跡
  • 著者:杉原 薫
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(776ページ)
  • 発売日:2020-10-06
  • ISBN-10:4815810001
  • ISBN-13:978-4815810009
内容紹介:
脱〈西洋中心〉のグローバル・ヒストリー。――豊かさをもたらす工業化の世界的普及は、日本をはじめとする「東アジアの奇跡」なしにはありえなかった。それは「ヨーロッパの奇跡」とは異なる、分配の奇跡だった。地球環境や途上国の行方も見据え、複数の発展径路の交錯と融合によるダイナミックな世界史の姿を提示する、渾身のライフワーク。
2020年10月、名古屋大学出版会は刊行点数1000点を突破した。その節目にあたるのが、700頁を超える杉原薫氏の大著『世界史のなかの東アジアの奇跡』だ。ポメランツ(『大分岐』)やアリギ(『長い20世紀』)ら世界の名だたる研究者と交流し、近年日本でも盛んな「グローバル・ヒストリー」研究の分野で国際的に活躍してきた著者。そのライフワークともいえる著作の中から、今回は冒頭部分を特別に公開する。

ヨーロッパの奇跡を焦点とする世界史から、東アジアの奇跡をもう一つの焦点とする世界史へ

東アジアの奇跡の意味するもの

これまでのほとんどの世界史は、ヨーロッパにおける近代の成立に決定的な意義を見いだしてきた。社会経済史学においては、イギリス産業革命を生み出した「ヨーロッパの奇跡」が、その後の2世紀における工業化の世界的普及の出発点として、特別な意義を与えられてきた。しかし、20世紀を終わって、16世紀以降の近代世界史を振り返ってみた場合、ヨーロッパの奇跡は、結局ごく少数の工業国家を生み出し、欧米先進国の国民の生活水準の向上をもたらしたにすぎなかったように見える。

これに対し、20世紀後半に生じた東アジア(日本、NIES、ASEAN、中国からなる東アジア、東南アジア諸国)の高度成長と生活水準の上昇、いわゆる「東アジアの奇跡」は、世界人口にはるかに重要なインパクトを与えたように思われる。それまで欧米に集中していた工業化がこれらの諸国を突破口にして発展途上国に広がり、従来とは比較にならないほど多くの人々を経済発展の波に巻き込んだからである。日本、NIESは欧米先進国と肩を並べるようになった。ASEAN、中国の成長によって、東アジア全体の生活水準も急速に向上した。成長の波はいまや他の東南アジア、南アジア諸国にも広がりつつある。それは、世界経済全体の成長に貢献したばかりではない。19世紀以降深刻化していた世界の貧富の格差はこれまでのように急速に悪化しなくなった。いわゆる南北問題に歯止めがかかったのである。われわれは、前世紀よりは世界の富がより平等に分布し、その分だけ自己開発の可能性をもった人間の数が多くなった状態で、21世紀を迎えた。

ヨーロッパの奇跡は生産方法の奇跡だったけれども、それを人類全体のものにするノウハウに欠けるところがあったのに対し、東アジアの奇跡は分配方法の劇的な改善と、それを可能にする技術革新の方向の発見を含んでいた。前者の世界史的インパクトは後者に吸収され、より広い文脈で再解釈されてはじめて実現したものと捉えるべきではないだろうか。過去2世紀の歴史は、ヨーロッパの奇跡のより広い世界史的文脈への移し替えの歴史であり、20世紀後半の歴史は、それが、南北対立、東西対立を乗り越えて、東アジアの奇跡というかたちで定着する歴史であった。

これまでの世界史を根本的に見直す

本書は、こうした観点からこれまでの世界史を根本的に見直し、ヨーロッパの奇跡を焦点とする世界史から、東アジアの奇跡をもう一つの焦点とする世界史へと、われわれの視点を転換することを提案する。その目的は、ヨーロッパの奇跡の歴史的意義を抹殺することではなく、西洋中心史観を相対化することによって、西洋近代の成立に新しい意味を見いだすことである。また、日本や中国を中心とした自己中心的な歴史観に与することではなく、地域史の枠を超えた東アジア史の重要性を主張することによって、これまでの世界史理解に新しい見方を付け加えることである。「東アジアから見た世界史」の構築とは、ある特定の国や地域の立場を正当化するための歴史が必要だという主張ではなく、歴史学における国際的な対話のために、東アジアの奇跡を一つの焦点とする世界史が必要とされているという主張である。

本書の視野は、おのずからこうした課題に規定されて、もっぱら16世紀から現代までの西洋(主として西ヨーロッパとアメリカ合衆国)とアジア(東アジアとインド)に、しかもその社会経済史的側面に限られている。主として依拠するのは、いわゆる西洋中心史観を概念的、実証的、イデオロギー的に克服しようとする努力の結果生まれた内外の諸研究である。とりわけ1990年代後半に盛んになった、いわゆるグローバル・ヒストリー研究の現時点における成果を反映している。というよりも、本書の大半は現在グローバル・ヒストリーを担っている研究者との密接な交流のなかで書かれた。いかに貧しいものではあれ、私の研究もこの新しい国際的潮流にいくばくかの影響を及ぼしつつある。その意味では、本書の内容そのものがグローバル・ヒストリーの国際的潮流の一部である。

[書き手]杉原薫(総合地球環境学研究所特任教授。著書『アジア間貿易の形成と構造』で日経・経済図書文化賞、サントリー学芸賞を受賞)
世界史のなかの東アジアの奇跡 / 杉原 薫
世界史のなかの東アジアの奇跡
  • 著者:杉原 薫
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(776ページ)
  • 発売日:2020-10-06
  • ISBN-10:4815810001
  • ISBN-13:978-4815810009
内容紹介:
脱〈西洋中心〉のグローバル・ヒストリー。――豊かさをもたらす工業化の世界的普及は、日本をはじめとする「東アジアの奇跡」なしにはありえなかった。それは「ヨーロッパの奇跡」とは異なる、分配の奇跡だった。地球環境や途上国の行方も見据え、複数の発展径路の交錯と融合によるダイナミックな世界史の姿を提示する、渾身のライフワーク。

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