内容紹介
『ペドロ・パラモ』(岩波書店)
地獄を垣間(かいま)見てみる
高評価ちょっと古い話だけれども、ウルグアイの批評家ホルヘ・ルフィネリが1980年ごろにラテンアメリカの作家たちに行った、20世紀に出版された最良のスペイン語小説は何かとのアンケートで、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』と同数を獲得してトップに立ったのが、メキシコの作家フアン・ルルフォの小説『ペドロ・パラモ』。長編小説はこれ1冊しか残していない作家だけれども、ルルフォはこの1冊で文学史に名を残した。
つかみどころのなさとリアリティー
フアン・プレシアードは死んだ母親との約束を果たして父親から援助を受けるためにコマラという町にやって来る。父親の名はペドロ・パラモだと聞かされている。ところが、そのコマラの町に来てみると、町はゴーストタウンのようだし、途中から同行することになった男によれば、その男もまたペドロ・パラモの子どもらしいし、そもそもペドロ・パラモは死んでいるらしい。フアンは示唆されるままにいろいろな家を訪ねるうちに、コマラがほんとうに死んだ人に満ちていることを知る。そして自身もまた死んでいることに気づく。フアンは実は墓の中で語っているのだった。
こう説明すると、『ペドロ・パラモ』のストーリーはなんだかフアンの出会う幽霊たち同様つかみどころのない話のように響く。しかしこのフアンの語りは小説の一部だ。ここにペドロ・パラモが一帯の有力者に成り上がる過程を語った断章の数々が加わる。ペドロはどうやらメキシコ革命(1910-1917)のどさくさに紛れて、半ば詐欺のようにして一帯の土地をわがものにしながら成り上がったらしい。養子にもらった息子は乱暴者でトラブル続きだ。こうしたペドロ・パラモのストーリーは多くの現実の地方有力者の人生に似ていて、小説にリアリティーを与えている。この小説が高く評価される要因の1つはここにあるに違いない。
地獄降下
この小説のフアン・プレシアードのストーリーに目を向けた場合、それを地獄降下の物語の変種と考えることはできるだろう。代表的な地獄降下の物語といえば、ギリシャ神話のオルフェウスの話がある。日本ではいざなぎのみことの黄泉(よみ)の国への旅の神話が知られている。いずれも、死んだ妻を取り返しに地獄に下りていくというもの。死者への思いに憑(つ)かれて死者たちの住む空間ヘフアンがやって来るという『ペドロ・パラモ』も、間違いなくこの系列の物語だ。ただし、地獄降下の物語というと、主人公が禁を破ったために悲劇が起きるというパターンが多いのだけれども、フアンは禁も破らないのにいつの間にか死んでしまう。一種ひねりのきいた地獄降下になっているのだ。
地獄の入り口
『ペドロ・パラモ』においてフアンがやって来た架空の集落コマラは実際、不思議な土地だ。フアンの母親の思い出で作られており、死者のささめき(murmullo)に満ちている。フアンはこのささめきに殺されるのだ。ひねりのきいた仮想地獄にふさわしいではないか。そんなコマラが最初に垣間見られるシーンもおもしろい。そこは地獄の入り口なのだから、それにふさわしく描写される。熱と不気味さが伝わってくるようだ。
Era ese tiempo de la canícula, cuando el aire de agosto sopla caliente, envenenado por el olor podrido de las saponarias.El camino subía y bajaba:“Sube o baja según se va o se viene. Para el que va, sube, para el que viene, baja”.
―¿Cómo dice usted que se llama el pueblo que se ve allá abajo?
― Comala, señor.
(Juan Rulfo, Pedro Páramo, Edición de José Carlos González Boixo, Madrid, Cátedra, 2000, p.63より引用。斜体字は原文)
シャボテン草のすえた臭(にお)いのしみこんだ八月の熱い風が吹く、暑さの真っ盛りだった。道は上りになったり下りになったりしていた。「行くか来るかで、上りになったり下りになったりするんだよ。行く人には上り坂、来る人には下り坂」
「下のほうに見えるあの町はなんていうんだい?」
「コマラだよ、旦那」
【フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山晃・増田義郎訳、岩波文庫、1992、p.8より引用。太字は原文】
熱気とすえた臭いに包まれ、見えそうで見えない、それがコマラという名の地獄だ。そこは坂道の下にある。地下世界たる地獄にはますますふさわしい。
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