ベスト&ロングセラー商品誕生の舞台裏を活写
知らない人も多いだろうが(僕も知らなかった)、ホンダのバイク「スーパーカブ」は累計で最も多く売れているモビリティー(移動性)の工業製品である。その数、1958年の発売以来、実に1億台以上。フォードの乗用車「モデルT」が19年間で1500万台、フォルクスワーゲンの「ビートル」が58年間で2150万台。いくら低価格のバイクとはいえ、1億台という数字のすごさがわかる。しかも現役モデル。日本発の最強商品といってよい。スーパーカブには卓越した商品の特徴のすべてが詰まっている。ロングセラー。優れた基本性能。経済合理的で大衆向け。耐久性。快適性。楽しさ。シンプルで上品なデザイン。何よりも、骨太なコンセプトが商品の隅々まで浸透していること。
開発のプロセスをたどった前半にはとりわけしびれる。開発総責任者は本田宗一郎。商品企画は右腕の藤澤武夫。創業直後から「世界一でなければ日本一ではない」というナイスな檄(げき)を飛ばしていた宗一郎が、創業10年目にして社運をかけて勝負に出たのがスーパーカブだった。
宗一郎の開発コンセプトは「手の内に入るモノ」。藤澤の商品コンセプトは「女性が乗りたくなるオートバイ」。それだけだった。設計から機能、性能、仕様からビジネスモデルに至るまで、この普遍的な価値を凝縮した骨太のコンセプトが着実に具現化されていった。
当時の未舗装道路を走るには、スクーターと違って17インチの大型タイヤでなくてはならない。快適な走行のためには、小型50CCでありながらスクーターの2ストロークではなく4ストローク・エンジンでなければならない。乗る人が跨(また)ぎやすく乗り降りしやすいデザインで、片手が自由になるオートマチッククラッチ、服や靴が汚れないフルカバーのボディーで、耐久性だけでなく、修理も簡単で安全でなければならない。これら開発上の難題を一つひとつ克服することで、明快なコンセプトのもとに完全に統合された名車が生まれた。発売直後から日本で大ヒットし、ホンダの本格的海外展開の第一歩であるアメリカ市場を切り開いた先兵もスーパーカブだった。
スーパーカブは多くの国で日常の風景に完全に溶け込んだ「自然な存在」になった。驚くべきことに、現在日本で売られているスーパーカブは、コンセプトはもちろん、メカニズムもレイアウトもシルエットも発売当時から変わっていないという。
本書を読んで、久しぶりにバイクに乗りたくなった。