書評
『赤星鉄馬 消えた富豪』(中央公論新社)
成り上がり二代目の「品」とは
赤星鉄馬。この名前を知る人はほとんどいないだろう。明治15年生まれ。幕末の動乱期に武器商人として莫大な財を成した父、弥之助の資産を継承、若くして大富豪となる。ペンシルベニア大学に留学、米国製パッカードで風を切り、東京一の美人と謳(うた)われた令嬢を娶(めと)り、世界一周の新婚旅行に出かけ、麻布鳥居坂に豪壮な洋館を構える。弥之助は明治維新の典型的な成り上がりであり、鉄馬もまた典型的な二代目だった。特筆すべきはその生き方である。「品がある」とはこういうことかと思い知らされる。弥之助が遺(のこ)した膨大な美術品を売却して得た金(現在の貨幣価値で100億円以上)で、日本初の本格的学術財団「啓明会」を創設する。「特殊ノ研究」を支援し、近代日本の研究基盤づくりに貢献した。
啓明会は当時の日本の全研究助成費の5分の1を占めた。しかし、鉄馬は一切表には出なかった。財団に自分の名前を冠するのを固辞し、運営にはまったく関わらない方針を貫いた。式典で挨拶もしなかった。資金提供者からこれほど独立した学術財団は世界的にも類例がない。
実業としては朝鮮半島での牧場経営に力を入れたが、敗戦ですべて失った。それを嘆くこともなかった。時代の機運で築かれた富は時代の流れで失われるという達観が鉄馬にはあった。生涯を通じて、自分の人生について書くことも語ることも一切なかった。
自らの意志で姿を消していった人物なだけに、ほとんど情報がない。著者の調査取材の範囲と量は尋常ではない。鉄馬の人生と交差した人々から知り得る断片的な事実を積み重ねて間接的に対象へと接近していく。文字通りの労作である。その結果、本書は期せずして群像劇となり、それがまた一段と本書の価値を上げている。
慶応元年に蒸気船でロンドンに渡り、その後カリフォルニアの農園経営で「葡萄王」となった叔父の長沢鼎。留学を世話し、その後も鉄馬のメンターであり続けた樺山愛輔。そして、鉄馬以上に華やかに社交界で活躍し、黎明(れいめい)期の日本ゴルフをけん引した弟の四郎と六郎。「クラス」が確固として存在していた明治大正期の日本社会とそれを生きた人々のエピソードが実に興味深い。