前書き

『旅の効用: 人はなぜ移動するのか』(草思社)

  • 2020/01/28
旅の効用: 人はなぜ移動するのか / ペール・アンデション
旅の効用: 人はなぜ移動するのか
  • 著者:ペール・アンデション
  • 翻訳:畔上 司
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2020-01-24
  • ISBN-10:4794224362
  • ISBN-13:978-4794224361
内容紹介:
インドを中⼼に世界を旅してきたジャーナリストが、⾃他の旅の記憶をていねいに辿りながら「⼈が旅に出る理由」を重層的に考察するエッセイ。 なぜ人は何度でも、何歳になろうと旅に出るべ… もっと読む
インドを中⼼に世界を旅してきたジャーナリストが、
⾃他の旅の記憶をていねいに辿りながら
「⼈が旅に出る理由」を重層的に考察するエッセイ。
なぜ人は何度でも、何歳になろうと旅に出るべきなのか。
それは旅こそが私たちにとって最⾼のセラピーであり、
⾃分を育む⾏為にほかならないからだ。
旅好きも、旅が遠くなった⼈も必読の滋味あふれる旅論。
【スウェーデン発、欧州ベストセラー!】

(本書より引用)
不機嫌という病を治すにはまず、自分の安全領域から外に飛び出すことだ。
そうすれば、すべてをコントロールしなくても日々がうまく運んでいくと気づくこともある。
いったん異文化の中に身を置けば、足が地に着かなくなっても
「すべてうまく行くだろう」と信じることができる。

変化がなければ心は消耗する。だが新たな見方をするようになれば、新たな展望が開ける。
旅をすれば感覚が研ぎ澄まされ、世間や家庭内の状況に対して注意深くなる。
今まで無関心だったことにも、不意に何かを感じるようになるのだ。
今まで見えていなかったことが不意に見えてくるのである。

美しい言葉に言い直すとすれば、旅と遊牧民の生活様式こそイデオロギーだった。
旅は、前もって予見可能であってはならず、ページを開いた瞬間の
本のようでなければならなかった。
旅人は、自分が今から何と出会うか、誰と遭遇するかを知っていてはならなかった。
お金も時間も労力もかかるのに、なぜ人は旅に出るのか。旅に出ることで人はどんな「報酬」を受けとることができるのか。スウェーデンの著名な旅行雑誌『ヴァガボンド』の共同創業者であり、旅をめぐる著作で人気を博している作家ペール・アンデションの魅惑の旅論『旅の効用――人はなぜ移動するのか』から、「まえがき」を公開します。
 

人には何度でも、何歳になっても旅をすべき理由がある

人間は旅を求める生き物

一万三千年前まで、私たちは遊牧民だった。私たちの遺伝子の中には旅心が潜んでいる。地平線や水平線の彼方に行ってみたいという気になるのは遺伝にもとづく衝動であり、人類共通の古来の願望だ。旅をしたいという希望は普遍的なのである。

気晴らししたいという欲求は強烈だ。古代スウェーデンの農民たちは初夏になると、敷地内にある質素な「夏のキッチン」と称する建物に移り住むのを常とした。大した移動ではない。五十メートルほど移動するだけのこともあったが、簡素で気ままな生活を体験するにはそれで充分だった。また農民は一家全員で毎年、秋の市と教会の縁日を目的として旅をしたものだ。

旅の必要性というよりも、単に何か別のものを見たかったからであった。

しかし、自分の目で世界を見ることができない場合には、世界のほうからこちらに近づいてもらう必要がある。人類が書き記した古代の本はどれも旅日記だ。家族、自宅、畑が理由で旅ができなかったり、あるいは年老いていたり、病んでいたり、ないしは体力の限界があって旅ができない場合には、旅の欲求を満たすそうした本が役立ったと思われる。最古の文学、たとえば叙事詩『ギルガメッシュ』『オデュッセイア』、そして旧約聖書中のアブラハムの遊牧の旅などはいずれも長旅の話だ。

国連世界観光機関(UNWTO)によれば、外国旅行を毎年おこなっている人は全世界で百万人ほどいる。自国内で休暇旅行をしている人数を加えれば、その何倍にもなるだろう。

だがここ何年間か、旅については短所がしばしば論じられるようになっている。たしかに飛行機による環境破壊は否定できない。だが、だからと言って旅の欲求にブレーキをかけることはできないだろう。環境的にはハイキングや自転車という方法はあるものの、飛行機の搭乗回数を減らすことはできないし、列車や船の利用は続くだろう。
 

旅は世界の真の姿と出会わせてくれる

旅に出れば、自分の地元集団が抱いている過大な自尊心が抑制される。世の中が、自宅の小部屋に座って思い込んでいたほど奇怪なものではないと知るからだ。だが情報やコミュニケーションが不足すれば、「隣人やオーストラリアの先住民がどうなろうとかまわない」という偏見が生じる。しかし見知らぬ人と接触すればそうした幻想はしぼみ、誤った判断や人種差別は消えてゆく。

外部の情報のみを通じて世間とコンタクトし、居間でメディアにかじりついていると、あっという間に人間嫌いになってしまう。メディアが伝えるのは悲惨な出来事ばかりだから、そんなことばかりに関わっていられないと思うようになるからだ。安全な自宅にいるのがベスト、と考えるようになってしまう。

だが旅をしている人は、新聞が日々報じているほど外がひどい状態ではないことを知っているし、問題が生じている地域にも幸福や美が存在することを心得ている。そして、自分が住み着いている場所だけがノーマルで安全なところではないことも承知しているのだ。

ことによると旅は、世界観を広げる上で有効かもしれない。結局のところメディアの報道だけでは不十分だし、歴史的な見方を怠ることも多い。大体が、もし自然災害が起こらなかったり、選挙が終わってしまったり、ないしは武器が鳴りやんだりするとメディアは沈黙してしまうからだ。

私はスウェーデン人だが、他の文化を体験するために毎回カンボジアやモンゴルといった遠国にわざわざ旅する必要はない。旅を体験して新たな人生認識を得るためには、デンマークやポーランド、ドイツ、スペインなど近隣諸国であってもいい。大事なのは、時間をかけて現実と接触すること。

どんな旅でもいいというわけではない

では旅はどれもすてきなものか。いや、そんなことはない。世界の人々の多くは貧困や戦争、抑圧から逃げようとして仕方なく旅に出ている。それに、自分の体験の豊富さを友人や隣人相手に話をして自慢するために旅する人たちもいる。だがその一方で、経済的、社会的、ないしは政治的な理由により旅ができない人たちもいる。

さらには国境というものがある。パスポートやビザが人々を分断しているのだ。私たちは、自分たちが特権グループのメンバーだということを忘れてはいけない。スウェーデン人はビザなしで、地球上の百七十六カ国を旅することができる。ドイツ人が旅することのできる国の数はもっと多い。逆に、アフガニスタンやパキスタン、イラク、ソマリア、そしてシリアのパスポートを所持している人たちは、自由に世界中を旅することがひどく困難だ。

それに、旅行をすれば常に新たな見識が得られるというものでもない。地中海ツアーに参加すれば、この上なくすばらしい旅になる場合もあるかもしれないが、同じツアーに参加しても、ウェイターやホテルの清掃係とだけ顔を合わせていたら、帰宅しても外国から戻ってきた感じはしないだろう。いわば閉鎖的な「観光保護区」内にいたようなものだからだ。

ツアー参加者が出会う現地の人といえば、ホテル従業員を除けば商店の売り子だけだろう。ツアー参加者は売り子相手に何かを注文したり、値段の交渉をしたり、何らかのサービスを期待したりするだけ。そうしたツアーの参加者は、旅行前から抱いている偏見を強めてしまうだけにもなりかねない。

ツアーの宣伝文句を読むと、旅は日常生活から抜け出すこと、日々の平凡な悩み、ありきたりの苦労からの脱却だと書いてある。ツアーに参加すればパートナーも喜んでくれるかもしれないし、子どももおとなしく振る舞って満足してくれるだろう、とも謳われている。

だがツアー参加者はそうした言葉を信じてなどいない。家庭内の人間関係は改善しないし、子どもたちがけんかをやめないことなどとっくに承知している。それでも旅に出るのは、宣伝文句に記されている「夢の世界」が今度の旅によって実現することを祈っているからだ。現実から離れることで、諸問題が解決することを期待しているのである。

旅とはつまり、仕事から遠ざかる方策であり、「人生に意義を求める日々の闘い」から距離をとる方策なのだ。アリストテレスが「エウダイモニア」(幸福)と呼んだ真の安寧、平穏状態に達しようという野心が旅ほど高まる行動は他にあまりない。

ただし問題は、ツアーの謳い文句である夢が、たいていは夢のままで終わることだ。旅行会社は豪華なホテルと大きなプールを約束する。この世の苦労とは無縁な体験と言っていいだろう。すてきなことだ。

だが「すばらしいと喧伝されていた場所」に実際に着いてみるとがっかりする。レストランの夕食ビュッフェは初日も二日目もほとんど変わりなし。風になびくヤシの葉や、なかば腐っているココナツは熱帯の美と言えなくもないが、それらが砂浜に散乱しているのを見るのは痛々しい。

旅行プランを立てていた時期、あの暗くて寒い冬の時期には暑さに憧れていたくせに、いざ目的地に着いてみると体は汗ばみ息切れがして胸苦しいくらいだ。ツアー参加者の証であるプラスチック・バンドは手首にこすれて痛みを感じる。夢の楽園の地に到着はしたものの、ツアーの雰囲気は相変わらずとげとげしい。

とはいえ、良い面もないではない。だがそのためにはデッキチェアから腰をあげてホテルを離れ、旅先の現実に飛び込んで行かなければならない。そうすればサプライズが目白押しだ。

逆説めくが、失望を体験させられたために旅の目的の優先順位を変更し、即興的な行動をとるようになれば、すぐさま幸福が手に入ることもあるのだ。

たとえば、どこかでバスに乗ったり、レンタカーを借りて山中に入ったり、田舎に行ったり、最寄りの町に行ったりすれば、地元の老人たちといっしょにトルコ・コーヒーや一切れのスイカをプラタナスの木陰で味わうことができる。こうした人付き合いをすれば、何らかの政治的対立について別の見方をするようになるかもしれない。またレストランに入れば新たな食体験ができるし、植物園内を散歩すれば、その後自宅の庭のやぶを新たな目で見ることができるようになる。また絶滅に瀕している動物たちをサファリで見かければ、それがきっかけとなって自然保護団体に入るかもしれない。

私たちは「旅不足」に陥っている

もし長旅をすれば、帰宅時には生まれ変わったような気がすることだろう。丸々ひと月も旅行すれば、まるで一年間旅していたような感じがするかもしれない。一瞬ごとにさまざまな印象を得ることができるので、人生が濃密になっていく。これに対し、自宅から動かないでいる友人たちは、時間が止まっているような感じを抱いている。不思議なことだが、それが現実だ。

旅嫌いの人は、意外なことが起こると軽いストレスを感じて神経質になることがある。それどころか興奮したり怒ったりすることもある。意外なことはもちろんどこでも起こりうるのだが、できるだけ今までどおりの生活を送りたいと思うのだ。これに対し好奇心たっぷりの旅人は、事態に即応し、異なる習慣や新たな人間関係を理解する。

専門家が言っていることを少しは疑ってみるのもいいことだ。それをまともに信じて不機嫌になったり、何事もうまく行かないだろうと思い込むのは良くない。そうした人たちは世事に異常に無関心になり、引きこもってしまうことになる。

この症状の病因は旅不足だ。これを治すには異文化の地に旅すればいい。

不機嫌という病を治すにはまず、自分の安全領域から外に飛び出すことだ。そうすれば、すべてをコントロールしなくても日々がうまく運んでいくと気づくこともある。いったん異文化の中に身を置けば、足が地に着かなくなっても「すべてうまく行くだろう」と信じることができる。

旅とは、未知の音、噂、慣習と相対することだ。当初は不安になり心が混乱したとしても何とかなるものだ。旅に出れば、一つの問題にも解決法が何種類かあることを知って心が落ち着くようになる。そうと分かれば、地下鉄がちょっとやそっと遅れようと、あるいは職場が再編されようと神経にさわることはない。

変化がなければ心は消耗する。だが新たな見方をするようになれば、新たな展望が開ける。旅をすれば感覚が研ぎ澄まされ、世間や家庭内の状況に対して注意深くなる。今まで無関心だったことにも、不意に何かを感じるようになるのだ。今まで見えていなかったことが不意に見えてくるのである。

[書き手]ペール・アンデション Per J. Andersson
スウェーデンのジャーナリスト・作家。1962年、同国南部のハルスタハンマル生まれ。同国で最も著名な旅行誌『ヴァガボンド』の共同創業者。過去30 年にわたってインドを中心に世界各地をバックパッカー、ヒッチハイカーとして、あるいはバスや列車を利用して旅する。
旅の効用: 人はなぜ移動するのか / ペール・アンデション
旅の効用: 人はなぜ移動するのか
  • 著者:ペール・アンデション
  • 翻訳:畔上 司
  • 出版社:草思社
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2020-01-24
  • ISBN-10:4794224362
  • ISBN-13:978-4794224361
内容紹介:
インドを中⼼に世界を旅してきたジャーナリストが、⾃他の旅の記憶をていねいに辿りながら「⼈が旅に出る理由」を重層的に考察するエッセイ。 なぜ人は何度でも、何歳になろうと旅に出るべ… もっと読む
インドを中⼼に世界を旅してきたジャーナリストが、
⾃他の旅の記憶をていねいに辿りながら
「⼈が旅に出る理由」を重層的に考察するエッセイ。
なぜ人は何度でも、何歳になろうと旅に出るべきなのか。
それは旅こそが私たちにとって最⾼のセラピーであり、
⾃分を育む⾏為にほかならないからだ。
旅好きも、旅が遠くなった⼈も必読の滋味あふれる旅論。
【スウェーデン発、欧州ベストセラー!】

(本書より引用)
不機嫌という病を治すにはまず、自分の安全領域から外に飛び出すことだ。
そうすれば、すべてをコントロールしなくても日々がうまく運んでいくと気づくこともある。
いったん異文化の中に身を置けば、足が地に着かなくなっても
「すべてうまく行くだろう」と信じることができる。

変化がなければ心は消耗する。だが新たな見方をするようになれば、新たな展望が開ける。
旅をすれば感覚が研ぎ澄まされ、世間や家庭内の状況に対して注意深くなる。
今まで無関心だったことにも、不意に何かを感じるようになるのだ。
今まで見えていなかったことが不意に見えてくるのである。

美しい言葉に言い直すとすれば、旅と遊牧民の生活様式こそイデオロギーだった。
旅は、前もって予見可能であってはならず、ページを開いた瞬間の
本のようでなければならなかった。
旅人は、自分が今から何と出会うか、誰と遭遇するかを知っていてはならなかった。

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