書評

『ゼロ発信』(中央公論新社)

  • 2020/01/27
ゼロ発信 / 赤瀬川 原平
ゼロ発信
  • 著者:赤瀬川 原平
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(303ページ)
  • 発売日:2003-10-01
  • ISBN-10:4122042739
  • ISBN-13:978-4122042735
内容紹介:
リセット(ゼロ発信)で始まった二〇〇〇年、しかし、生きている限り日常は同じような姿で繰り返されていく。朝の食事、犬のニナとのつきあい、仕事、野球観戦、猫のミヨのおらび声、旅…。何げない出来事の日録の向こうに見えてくる赤瀬川原平の小説世界。
赤瀬川原平さんは――ここまで書いて、かつて先輩ライターに「取材記事でもないのに有名人に“さん”づけするのはおかしい」と注意されたことを思い出し、パソコンのキィを叩く指がちょっとだけ縮こまる。たしかに外国の作家や俳優について書く時に“さん”はつけない。というか、つけたら変だと思っている自分がいる。なのに、相手が日本人だと自然に“さん”や“氏”をつけてしまうのが不思議だ。たとえ知り合いでなくても同国人だと顔が具体的に浮かび、距離が近いという感じが自分の中に生まれるからなのか、何となく呼び捨ては「申し訳ない」という気持ちになってしまう。

と、こんな本筋とは関わりのない寄り道めいた話をいきなりしてしまうのが、もうこの『ゼロ発信』という小説にやられちゃってる証拠なのだ。『新解さんの謎』や、『超芸術トマソン』、路上観察学会、『ライカ同盟』『老人力』など、赤瀬川さんの書くことなすこと考えることにやられちゃった経験を持つ人ならおわかりいただけると思うのだけれど、赤瀬川的ものの見方の伝染力はとても強い。赤瀬川さんの本を読んだ後は、頭の中がいい具合に悠長化し、普段は忙しさを理由にかまけもしない、いろんな細かなことに思いが立ち止まるようになるのだ。そこがすこぶる気持ちいい。

讀賣新聞に連載されていたこの新聞小説もそう。〈構想なしのほとんどフリーハンドで書いている〉、つまり毎回ゼロから始めている、日録のようなエッセイのような小説のような文章を毎朝読んで、まず仕事のことを忘れてから出社するという人から届いた手紙が作中で紹介されているけれど、その気持ち、すごくわかる。〈最近不安に思っているのは、この連載が終わってしまったらどうしよう、ということです。気持ちに余裕をつくる時間がなくなり、出社拒否になるかもしれません〉。

あるエッセイの中で赤瀬川さんは、余白は無駄なものなんだけれどないと困る、たとえば本なら字ばかりで埋まって真っ黒になってしまう、みたいなことを書いていたけれど、先の会社員氏はまさにその余白に安らぎを覚えていたのだと思う。一見無駄なもの、世の中の枠からはみ出してしまうもの、いらないと捨てられてしまうもの、そこにあるのに誰も認識しようとしないものをしげしげと眺めては面白がったり、うろたえたりする。赤瀬川さんはそういう人だ。そして、この日録小説にはそんな余白の気分がぼんやりといい感じで漂っているのだ。

さて、その余白の気分がどこから生まれているかというと、それは直感力。赤瀬川さんは物事を理屈で理解しない。まず、パッと頭にひらめいたライブの気持ちを文章にしてしまう。そして論理を展開することで立証していくのではなく、その気持ちを生んだものや光景を描写することで検証していく。だから、赤瀬川さんの文章を読んでいて楽しいのは結論ではなく、そのスケッチの過程なのだ。たとえば飼い猫のミヨがおらぶ(大分の言葉で「叫ぶ」の意)。なぜ、おらぶのかはわからない。動物学者が下すような結論は出ない。でも、ミヨがおらぶ様を描写し、あれこれ思いを寄り道させていく赤瀬川さんの文章が圧倒的に面白くて、その面白さに頬を弛ませる自分がいる。理路整然とした結論なんか出なくたって、スッキリできるじゃん! 論理のくびきから解き放たれる安らぎ、それもまた余白の気分なのだ。

ともすると、人は論理の決着をすべてに優先させてしまいがちだ。気持ちよりも理屈を優先させて、その場はうまく収まったものの、何となく釈然としない思いを抱えた経験は誰しもあると思う。だから、気持ちのリアリズムを優先させる赤瀬川さんの文章に接するとホッとする。テーマも筋も終わりも、何も設定しないで書かれた、エッセイと文学のあわいでゆらゆらしているこの小説に限らず、赤瀬川さんの書くものは大抵の場合、気持ちや思考を実況中継のように読者に伝えるのだ。

それを赤瀬川さんは本書の中で〈乱暴力〉〈つまり現場勝負の力〉と指摘している。塗り直しの出来る油絵とは違い、〈紙に墨、一回限りのやり直しのきかない世界〉日本画になぞらえている。そして、一度書いた原稿の内容を「それはもう前に書きましたよ」と担当編集者に指摘されたことすら実況中継しているこの小説こそ、まさに乱暴力の賜物なのだ。ただ、書いてから読者の目に届くまでタイムラグがある新聞小説の形態を考えると、それは宇宙飛行士と地上の管制塔の会話のように少しズレた実況中継というべきだろう。それを赤瀬川さんは〈現実は少し寝かせている間に小説となるのだった〉と書いている。

というわけで、つまり、これは乱暴力に満ち満ちた小説なのだけれど、当たり前の話、ちっとも怖くない。優しくて、おかしくて、楽しい。こんな乱暴だったら、四六時中だって歓迎だ。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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ゼロ発信 / 赤瀬川 原平
ゼロ発信
  • 著者:赤瀬川 原平
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(303ページ)
  • 発売日:2003-10-01
  • ISBN-10:4122042739
  • ISBN-13:978-4122042735
内容紹介:
リセット(ゼロ発信)で始まった二〇〇〇年、しかし、生きている限り日常は同じような姿で繰り返されていく。朝の食事、犬のニナとのつきあい、仕事、野球観戦、猫のミヨのおらび声、旅…。何げない出来事の日録の向こうに見えてくる赤瀬川原平の小説世界。

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初出メディア

ダカーポ(終刊)

ダカーポ(終刊) 2000年11月1日号

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