書評

『新解さんの謎』(文藝春秋)

  • 2020/06/22
新解さんの謎  / 赤瀬川 原平
新解さんの謎
  • 著者:赤瀬川 原平
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(320ページ)
  • 発売日:1999-04-09
  • ISBN-10:4167225026
  • ISBN-13:978-4167225025
内容紹介:
辞書の中から立ち現われた謎の男。魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない-。「新解さん」とは、はたして何者か?三省堂「新明解国語辞典」の不思議な世界に踏み込んで、抱腹絶倒。でもちょっと真面目な言葉のジャングル探検記。紙をめぐる高邁深遠かつ不要不急の考察「紙がみの消息」を併録。

つまった困った新明解

やられた、という感じである。

三省堂の新明解国語辞典がオモシロイ、といいだしたのは仕事の相棒のヤマサキノリコで、たとえば「しじん・詩人」という項目を、私の持ってた岩波の国語辞典でひくと、「詩をつくる人」とわずか六文字。が、彼女の新明解第四版をひくとどうだろう。「しじん[詩人]、詩を作る上で余人には見られぬひらめきを持っている人。〔広義では、既成のものの見方にとらわれずに直截的に、また鋭角的に物事を把握出来る魂の持主も指す〕」

とこうきちゃう。「魂の持主」というところ、ゾクゾクッとくる。

で、われらが谷根千工房では「つまった困った新明解」を合言葉に、文をつくるためだけでなく、何か物事がうまくいかぬときは新明解をひき、それを拠り所に気持ちを立て直すという「新明解ごっこ」が流行っていた。赤瀬川原平さんはその、われらが隠微な楽しみを白日のもとにさらしてしまった。

赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋)の謎解きは、こんな具合にはじまる。

深夜、知り合いの出版社員SM嬢から「わたしはいま、しんめいかいに来てるんです」と謎の電話が来る。

彼女のまずとり出したのは、れんあい[恋愛]の項。「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態」

一読、「たしかに匂うね」と著者は反応する。

かえん[火炎]には火炎ビンの作り方が書いてありかぞえ方一本と添えてある。これはこわい。新解さんは火炎ビンをつくったことがあるのか。[ごきぶり]の項には「さわると臭い」だって。[ぞっこん]の用例は「私は雪子の美貌と気性に――ひきつけられていたが」と必ず名前が出てきちゃう。雪子って何なんだ。

これは面白くてかわいくてヘンな辞書である。次々用例を恣意的にコラージュして、著者ならではのシュールな「しんかいさん」像をつくり上げてゆく。

狂言回しのSM嬢は鋭い。[ヒステリー]の項には「欲求不満の女性に多い、ヒス」と書いてある。あさぢえ「女の――」、あざとい「――女の恨み」、のに「女だてらに、よせばいい――」といった用例から、「しんかいさん」の根深い女性蔑視をかぎとる。

こうして二人の探偵(もしくはディープスロート=SM嬢とロバート・レッドフォード演ずる記者=赤瀬川さんのウォーターゲートの真相究明)があぶり出した「しんかいさん」像とは――。

女に厳しく、金がない(例・そうそう、いつかの三千円を返してくれないか)。魚が好きで(例・あこうだい=顔はいかついが、うまい)、出版に批判的(例・形のうえでは共著になっているが。売文の徒)。

気まじめで、どこかかわいくて、生活の苦労が沈澱していて、どこか「毛の生えている」ような野太い感じ……。うーん、いるなあ、そういう男。

新明解は攻めの辞書だから、ワキが甘い。冒頭の[れんあい]だって考えてもごらん。好きだっていつも一緒にいたいとか、合体したいって思わないじゃない。これじゃ同性愛が排除されてるじゃない、――っていろいろギモンが湧く。

その豊かさ面白さを、揚げ足取りじゃなく鮮やかに解析した、おすすめの笑える一冊だ。

【この書評が収録されている書籍】
深夜快読 / 森 まゆみ
深夜快読
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1998-05-01
  • ISBN-10:4480816046
  • ISBN-13:978-4480816047
内容紹介:
本の中の人物に憧れ、本を読んで世界を旅する。心弱く落ち込むときも、本のおかげで立ち直った…。家事が片付き、子どもたちが寝静まると、私の時間。至福の時を過ごした本の書評を編む。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

新解さんの謎  / 赤瀬川 原平
新解さんの謎
  • 著者:赤瀬川 原平
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(320ページ)
  • 発売日:1999-04-09
  • ISBN-10:4167225026
  • ISBN-13:978-4167225025
内容紹介:
辞書の中から立ち現われた謎の男。魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない-。「新解さん」とは、はたして何者か?三省堂「新明解国語辞典」の不思議な世界に踏み込んで、抱腹絶倒。でもちょっと真面目な言葉のジャングル探検記。紙をめぐる高邁深遠かつ不要不急の考察「紙がみの消息」を併録。

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