書評
『紋切型社会』(新潮社)
「何となくそんな感じ」の風潮に斬り込む
この本の中にこんな文章がある。「今、あらゆる媒体に批評が介在しにくくなったのは『つながりすぎている』からだと言われるが、むしろ、『大雑把につながっている』ことのほうが大きく作用しているのではないか」。たしかに。大雑把に近づくことが容易になった。でも一方では、相手との間合いを計りながら、議論を交わしたり、じっくりと関わることが難しくなった。親密ではないが、相手と漠然とつながっているから、距離感がつかめないのだ。だからちょっとでも批判的なことを言うと、批判「ばっかり」言われた、と反応されてしまう……。
武田砂鉄。この本の著者である。すでに複数の媒体にコラムを書いている「期待の新人」批評家(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2015年)。
シニカルだが、意外と直球勝負の文章を書く。自分のことを頻繁に書く。たとえば成城大学出身らしいのだが、成城大学出身であることと「東大話法」を対比させるとか、自分の身を削って批評文を書いているところがあり、信用できる。
あらゆることに目配りが利いている、というタイプの批評家ではない。自分の内部にある熱意と、読んだり見たり聴いたりしたことの接点を発見し、そこをぐいっと掘り進んでいく。掘り下げておいて、力任せに書いた自分を少し恥ずかしがったり……。面白い文章だな、と思ったし、コラムっぽい文章を書かせたら、かなりの腕の持ち主とみた。
ルポライターの竹中労やジャーナリストの本田靖春のことを書いた最後の章が特に良かった。タイプはぜんぜん違うけれど、武田砂鉄、先達二人を追走する存在となるか。それと、音楽に造詣が深いのも彼の文章を魅力的なものにしている一因かもしれない。
いずれにしろ、目の離せない新人のデビューである。