ひたすら思索を積み重ね、言葉を紡いだ生活の証し
1913年に建設された、現存する学生寮の中で最古の木造建築となる京都大学の吉田寮。耐震に不安があることなどを理由に大学側から明け渡しを求められているが、この寮が築き上げてきた「自分たちに関することは自分たちで決める」=「自治」の精神で、学生たちが守り抜いている。性別や国籍や年齢で区分けすることはしないので、吉田寮には「上回生には敬語を使わなくても構わない」という文化が根付いているという。それぞれの暮らしが切り取られた写真集。その写真から、建物が軋(きし)む音や、遠くの部屋ではしゃぐ声が聞こえてくるかのよう。熱がこもる夏や、すきま風にやられる冬も想像できる。学生たちの生き生きとした表情が何よりいい。染み込んだ雑念や邪念を背負いこむように、古びた寮に居座っている。
1925年、マルクス主義の研究サークルに所属していた吉田寮生が特高警察に検束された「京都学連事件」では、出所後に学生が自殺してしまう。この事件は日本内地で治安維持法が適用された最初の事例になった。中庭にはかつて、防空壕があり、空襲に備えていた。一人また一人と徴兵され、戻ってくることはなかったという。そんな中庭には今、にわとりやあひるがのんびりと歩いている。
「対話も自由もなければそれは京大ではない」「仮装決起」「ゼルダ紛失のイキ」(サツ、と続くのだと思うが写真が切れて見えない)などなど、写真をめくると、ありとあらゆるところにさまざまな貼り紙がなされている。いちいちメッセージにして、それぞれで受け止める。
器用か不器用かといえば、不器用な人たち、という感じが漂ってくるのだが、別に器用である必要なんてない。ひたすら思索し続けてきた痕跡が熱い。