書評
『東京風人日記』(廣済堂出版)
シンプルなのがいい
ねえ、どんな暮し、したい?本当は、食べるだけのところギリギリを稼いで、あとは好きにボーッとしてたいのだけど。子ども三人いるとけっこうお金もかかるのよ。靴はしょっちゅう穴開くし、学校ではピアニカだの絵具セットがいるだの、果ては絵が習いたいだって。
かつて詩人の諏訪優さんを町でよく見かけた。一人だったり二人だったり、痩身に白いあごひげでジーパン腰にひっかけて、ふらふらと歩いていた。
あまりにも早く亡くなられた諏訪さんの遺稿集『東京風人日記』(廣済堂)が出た。町で見かけた諏訪さんがどこに向かっていたのかわかった。あるときは上野東照宮のぼたんを見に。入場料が高いので出口から後ろ向きに入ったらしい。あるときは池の端の弥生会館のバアに昼下り散歩の寄り道をして、お坊さんのデートを眺めてた。多分あの日は、地元のウナギ屋で熱燗二本つけて蒲焼きを食べてたんだ……。
諏訪優さんが有名な詩人で、アレン・ギンズバーグなどアメリカのビート文学の紹介者だったことなどはよく知らない。詩人は田端の竹藪のとなり、古い木造のアパートの六畳に住んでいた。
ウナギ屋の油を吸った年代物の木机で原稿を書いていた。
「田端とは、住んで極楽、居て地獄、慈悲もないのに寺八軒」、そんな言い伝えの土地。そこから夕陽が坂をころげおちる町を歩き、町の食堂で一杯。
「今日、女湯で壮烈な喧嘩があった。
はげしい罵り合い、桶か何かがとぶ音。
男湯のわたしたち数人は湯に身をひたしてじっとしたまま声もなかった」
「肌寒い日は早く帰って寝床で本を読むより仕方がない」
「食べられる、ということはスバラシイことだと思いながらチビチビと酒を飲む。その、わたしの前にあるのは“シラスおろし”に“アスパラいため”だけだった」
「Yに電話。『見てごらん、いい月が出ているわよ』と彼女は言った。夜半に風は収まり、月をサカナにまた飲む」
Yという彼女が「妻」となるあたりから、読者にすぎない私でも嫉けてきてどうも面白くないのであるが、この生き方はうらやましい。
「日々の生活も、人との付き合いもシンプルなのがいい。怒る時は怒り、悲しい時は、人の目など気にせずに、すんなり涙を流す方がいい」
然り、と思う。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

高校生の窓(休刊) 1993年~1996年
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