書評

『新装版 とらんぷ譚 幻想博物館』(講談社)

  • 2020/06/09
新装版 とらんぷ譚  幻想博物館 / 中井 英夫
新装版 とらんぷ譚 幻想博物館
  • 著者:中井 英夫
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(235ページ)
  • 発売日:2009-12-15
  • ISBN-10:406276251X
  • ISBN-13:978-4062762519
内容紹介:
日常的な人間世界を超え、あるいは離脱して、幻視者たちが存在する。彼らが視るものは反地上的な夢、濃密な幻想である。それを蒐集して構築される幻想博物館の妖美さ。著者が熱愛する短篇形式への供物として捧げた十三の幻想譚は、手作りトランプのように装飾にみち色鮮やかに語られる。

優美な室内楽の追憶

滅びることができたものへの挽歌

流薔園という奇妙な名の精神病院を舞台にしたこの十三篇の連作小説集を一読して、おや、ここはいつか来たことがあるんじゃないかな、と私は思った。ここというのはその流薔園のことで、作者は冒頭にこんな風に紹介している。

麓から仰ぐと、銃眼のついた尖塔や跳ね橋や、深い濠のある異国の城砦めいて見えたせいであろう。村の人びとは、そこを癩狂院とか脳病院とかの古めかしい名で呼んで、コンクリートの粗壁と鉄格とに囲まれたあの中には、血の染みた拷問室や鎖で繋ぐ懲罰室があるのだと言い触らした。

ゴシック風のこの館は、サドの城館のようにも、オトラント城のようにも、アッシャー家のようにも、またわが小栗虫太郎の黒死館のようにも見える。しかし私が感じた既知の印象はそれとも違って、幼な時に行ったことのある具体的な場所の記憶と結びついているような種類のものであった。中井氏はたしか小石川植物園長を厳父とする家に生まれた人ではなかったか。それならば私も度々幼ない頃に訪れたことがあって、流薔園のモデルがあの植物園であれば、既知の感情の辻褄も合う。中井氏自身があの植物園の思い出を書いていたような気がして、手元の古雑誌をあれこれ繰ってみたが、探し出せない。おそらく私の錯覚だったのだろう。そのかわり、『中井英夫作品集』の跋文にこんなくだりがみつかった。

わたしには、ただ一冊も絵本や童話を買ってもらった記憶はないけれども、母が自分でバーネット夫人の『秘密の花園』を訳してくれ、その何冊かの手書きのノオトをむさぼり読んで過した……(中略)。いつまで経っても見つからない花園の入口のもどかしさ、深夜にきこえてくる泣き声の無気味さは、いまでもわたしのものだ。

私が来たことがあると思ったのは、どうやら存在しない幻の庭園だったようだ。それならば私に限らず誰しもが多少とも身に覚えのある秘密の場所であろう。

くだくだしい前置きになったが、要するに私は、中井氏におけるまことに執拗な庭園嗜好を指摘しておきたかったのである。中井氏の場所(ほとんど文学的なトポスの意にとっていただいて差支えない)は本質的に庭園的な平面であって、建築的な意味ではない。同じく暗黒小説への傾斜を著しく帯びながらも、虫太郎の鬱蒼として聳え立つ伽藍の閉鎖的構築よりは、前作『虚無への供物』がむしろ東京都内の迷路地図の俯瞰的平面の趣を呈した所以である。明治十八年の建立になる黒死館は昭和九年にいたって崩壊の予感にわなわなと身を震わせはじめたが、すでに一切のものが崩壊した後の流薔園には焦土の虚空に漂う死臭のように優美な室内楽の追憶が響くのみなのである。館(やかた)と園(その)の間には何者の下したとも知れぬ血みどろの惨劇がすでに起ってしまったのだ。

したがって中井氏のミステリーには破局(カタストロフ)が絶対に起らない。すでに起ってしまったことがこれから起るはずはないではないか。物語は破局に向って後向きに進む。作者はこの奇妙な曲面空間の悪意を「過去の銃弾」と名づける。かつては滅びることのできた時代があった。しかしもはや滅びることさえできない時代がどこまでも続くだろう。「十三枚のスペエドの札」を組合わせたカード占いの結果はそう出ているわけで、これはどんな大破局の到来の予言より怖ろしい呪いではないか。運動会が散会したあとの紙テープや火薬紙がちらばったグラウンド、学芸会がハネたあとの紙の王冠や銀紙の星が落ちている白々しい舞台。そんなところでしか拾えない紙製のメルヘンの断片がカリガリ博士の極彩色の気の狂った庭園へと再構成されて行くスクリーン・プロセスを思い浮べていただきたい。軽やかなエンターティナーが奏でているのは、滅びることができたものへの挽歌である。
新装版 とらんぷ譚  幻想博物館 / 中井 英夫
新装版 とらんぷ譚 幻想博物館
  • 著者:中井 英夫
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(235ページ)
  • 発売日:2009-12-15
  • ISBN-10:406276251X
  • ISBN-13:978-4062762519
内容紹介:
日常的な人間世界を超え、あるいは離脱して、幻視者たちが存在する。彼らが視るものは反地上的な夢、濃密な幻想である。それを蒐集して構築される幻想博物館の妖美さ。著者が熱愛する短篇形式への供物として捧げた十三の幻想譚は、手作りトランプのように装飾にみち色鮮やかに語られる。

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初出メディア

日本読書新聞(終刊)

日本読書新聞(終刊) 1972年2月21日号

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