書評
『馬車が買いたい!』(白水社)
大福が食いたい
東京の某所に大福餅を売るお店がある。朝九時から長蛇の列がならぶ。付近には流行のクレープなんぞを売るお店もあるにはある。しかしそういううすっぺらいものには目もくれずに、まっしぐらにあんこいっぱいの大福餅に駆けつける人もいるのである。文学のほうも同じようなものかもしれない。バルザックなんて小説家がほんとうにいたのかしらと首を傾げたくなるような風潮がそこらにあって、あんこの詰まった読み物はもうなくなったのかと思っていたら、それがあった。
バルザックがちゃんといる。フロベールがいて、ヴィクトル・ユゴーがいて、スタンダールがいる。のみならず彼らの小説のおなじみの主人公が、大福のあんこくらいの迫力で実在的に登場してくる。リュシアン・ド・リュバンプレ、ラスチニャック、フレデリック・モロー、マリユス・ポンメルシー、ジュリアン・ソレル。共通するのは、いずれも田舎から花の都のパリに上って、社交界で一旗揚げようと無名時代の青春を貧苦と屈辱のうちにすごす若者か学生であること。
彼らの行動の軌跡をたどっていくと、田舎からパリまでの交通事情(馬車)、パリの下宿事情、食堂・食糧事情、衣服やファッション事情、社交界へのきっかけをつかむ散歩道、最後に一か八かを賭ける賭博場までもが、微細な地誌学的眺望のうちにあざやかに浮かんでくる。十九世紀の大作家たちが意図したように、真の主人公はパリ、というわけだろう。読者が中年なら学生時代をそぞろ思い出すよすがとなり、現役学生ならいまの東京と当時のパリをくらべて楽しめる。
読み終わって思うのは、わが国にフランス文学者が何千人といて、どうしてたった一人しかこういう本を書くことを思いつかなかったかという素朴な疑問である。しかしやはりこの本はこの著者にしか書けなかっただろう。たとえば馬車に関するおそれいったうんちく。シベルブシュ『鉄道旅行の歴史』以前の世界の馬車文献を総まくりして、首都と地方を結ぶ交通手段としての階層象徴としての馬車の記号学を細部に徹して読み込んでいる。
野心的な学生の目標は、一にも二にも社交界に乗りこむ乗り物の馬車だった。だから「馬車が買いたい!」。それが当世の「新車が買いたい!」とどう、どのくらいちがうかの差異も本書の読みどころだが、こちらのほうは、読み方しだいでは、なにもしない先から絶望に打ちのめされかねない。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1990年8月26日
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