書評
『往復書簡 サンド=フロベール』(藤原書店)
ずいぶん感嘆符の多い文章だな、というのが誰(だれ)しもの抱く印象だろう。作中に作家自身は顔を出すな、主観を引っこめろ、と自分にも弟子にも言いつづけたフロベールが、いざ私信となると、「なんという野蛮さ!」「私は女たちを呪(のろ)います!」「人生とはたやすいものではありません!」「パリ・コミューンはまったく中世に戻っています!」「あらゆることにお金が必要です!」という調子で、感情の激発をそのまま感嘆符に託して際限もなくたたきつけている。
一八六三年一月、フロベールは十七歳年長のジョルジュ・サンド宛(あて)に手紙を書きはじめ、七六年六月、サンドが死去する直前まで書きつづけた。サンドもまた書簡文学者として有名な人だ。二人の往復書簡が、いま、三百数十ページの訳書として私たちの前にある。
文通が始まったとき、サンドは六十歳を目前にしていて、ミュッセとの恋もショパンとの恋もはるかな昔話、少女時代を過ごしたノアンに引きこもって童話を書いたりしていた。一方、フロベールはすでに「ボヴァリー夫人」と「サランボー」を刊行し、「感情教育」の決定版に取りかかろうとしていた。以後、彼は、「聖アントワーヌの誘惑」に骨身をけずり、やがて「ブヴァールとペキュシェ」の執筆を開始して、サンドの死後四年、脳溢(いっ)血で未完の原稿の上に突伏して死ぬことになる。
あいだに普仏戦争が入る。パリ・コミューンとその潰滅(かいめつ)が入る。激動に次ぐ激動だ。サンドへの手紙でフロベールは終始、人間の愚かしさ醜さを言い立て、絶望の声をあげつづける。サンドのほうも終始一貫、そのフロベールをやさしく慰め、ときにはたしなめ、姉か母のような言葉でフロベールを包んでやっている。作品世界がまるで違うこの二人を、こんなふうに結びつけた"引力"は何だったのだろう。文学の鬼神フロベールの、男としての弱さか、と評者はいま考えている。
一八六三年一月、フロベールは十七歳年長のジョルジュ・サンド宛(あて)に手紙を書きはじめ、七六年六月、サンドが死去する直前まで書きつづけた。サンドもまた書簡文学者として有名な人だ。二人の往復書簡が、いま、三百数十ページの訳書として私たちの前にある。
文通が始まったとき、サンドは六十歳を目前にしていて、ミュッセとの恋もショパンとの恋もはるかな昔話、少女時代を過ごしたノアンに引きこもって童話を書いたりしていた。一方、フロベールはすでに「ボヴァリー夫人」と「サランボー」を刊行し、「感情教育」の決定版に取りかかろうとしていた。以後、彼は、「聖アントワーヌの誘惑」に骨身をけずり、やがて「ブヴァールとペキュシェ」の執筆を開始して、サンドの死後四年、脳溢(いっ)血で未完の原稿の上に突伏して死ぬことになる。
あいだに普仏戦争が入る。パリ・コミューンとその潰滅(かいめつ)が入る。激動に次ぐ激動だ。サンドへの手紙でフロベールは終始、人間の愚かしさ醜さを言い立て、絶望の声をあげつづける。サンドのほうも終始一貫、そのフロベールをやさしく慰め、ときにはたしなめ、姉か母のような言葉でフロベールを包んでやっている。作品世界がまるで違うこの二人を、こんなふうに結びつけた"引力"は何だったのだろう。文学の鬼神フロベールの、男としての弱さか、と評者はいま考えている。
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