書評

『武器の交換』(現代企画室)

  • 2022/12/19
武器の交換 / ルイサ・バレンスエラ
武器の交換
  • 著者:ルイサ・バレンスエラ
  • 翻訳:斎藤 文子
  • 出版社:現代企画室
  • 装丁:単行本(174ページ)
  • 発売日:1990-11-01
  • ISBN-10:4773890029
  • ISBN-13:978-4773890020
内容紹介:
反体制派の人間がいつか忽然と姿を消し、関わりを恐れる周囲の人々も口を閉ざす70年代のアルゼンチン。その時代、男女の愛の行方は?恐怖と背中合わせの愛の物語。
ラテンアメリカ小説が翻訳紹介される機会はずいぶん増えた。だが女性作家の作品となると、これはもう皆無に等しい(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1991年)。新小説でしかも長編となると、ブラジルのクラリッセ・リスペクトールとチリのイサベル・アジェンデのものが辛うじて邦訳されているにすぎない。

だがこの現象は、紹介する側の問題というより、ラテンアメリカにおいて優れた女性作家の数が少ないという現実を反映しているということをまず指摘しておかなければならない。男性作家でさえプロで食べていくことが困難な状況(ガルシア=マルケスなどは例外中の例外なのだ)がある以上、女性作家の活躍できる場はほとんど限られている。アルゼンチンあたりに多く見られるように、富裕階級に属しているとか、夫が文化人や外父官であるといった幸運に恵まれない限り、執筆活動に専念することなど不可能に近い。

その意味でアルゼンチンのバレンスエラはまさしく幸運に恵まれたひとりなのだが、彼女が優れているのは自分の置かれた状況にきわめて自覚的であるということだ。そこから生まれる批評意識、それが彼女の作品の背骨となっている。その批評意識は文学と社会の双方に向けられる。『武器の交換』は、彼女がそうした特質を十分に発揮した短編集である。

収録された五編を読んで気がつくのは、彼女が方法意識を持った作家であるということだ。ストーリーテリングの才に秀でたアジェンデの滑らかな語り口とは異なり、バレンスエラは常に緊張を帯びた硬質な文体で、自ら考え、読者にも考えることを要求する。語り手と語られる人物が重なり合ってくるといった展開は方法意識と密接な関係がある。また言葉への執着はしばしば言葉遊びを生むが、それは通常の意味でのエンタテインメントとは無縁で、むしろ言葉の本質を追求しようとする作者の欲求や苛立ちを反映しているといったほうが正確だろう。

作者の重要なモチーフに性がある。作品には、きまって女と男が登場し、セックスの描写がある。だが、主人公の女性にとって肉体的快楽は、自らの身体性を回復する手段であり、他者である男とコミュニケートもしくはディスコミュニケートすることによって、彼女は「女」という自己同一性を確認するのだ。ウルグアイの女性作家、クリスティーナ・ペリ=ロッシにも同じようなモチーフを持つ作品があり、そこに彼女たちの共時性が感じられるが、ラテンアメリカでも今ようやく、女性が自らのアイデンティティーを真正面から追求するようになったといったら言いすぎだろうか。

しかも興味深いのは、バレンスエラもペリ=ロッシも(そしてアジェンデも)亡命を体験していることだ。男性作家たちにとって亡命はラテンアメリカを客観的に観察する上でプラスとなったが、女性たちにとっても、様々なレベルでの他者性を発見する機会となったようだ。他者としての女性、他者としてのスペイン語……。

バレンスエラの短編には甘さや妥協がない。ひとつには前に述べた批評意識が作品の隅々にまでいきわたっているからだが、もうひとつは、彼女あるいは登場人物に亡命を促す政治状況が背後にあるからだろう。この状況はラテンアメリカのすべての作家に共通してもいるのだが、バレンスエラはファンタジーに逃げ込んだりはせず、寓意やメタファーを武器に堂々と立ち向かっている。手法はリアリズムだが、写実主義とは違ってきわめて洗練されているため、メッセージがただちに透けて見えるということはない。

「第四版」「人殺しという言葉」「別れの儀式」「夜、わたしはあなたの馬になる」「武器の交換」という五つの作品はいずれも読んでいるうちに戦慄を感じさせる点で共通している。その恐怖の種類は読者によって少しずつ異なるかもしれない。そしてその違いは、読者の抱えている問題の違いを意味している。バレンスエラの作品は、読者が隠し持っている内的問題を、容赦なく暴き出してしまうのである。
武器の交換 / ルイサ・バレンスエラ
武器の交換
  • 著者:ルイサ・バレンスエラ
  • 翻訳:斎藤 文子
  • 出版社:現代企画室
  • 装丁:単行本(174ページ)
  • 発売日:1990-11-01
  • ISBN-10:4773890029
  • ISBN-13:978-4773890020
内容紹介:
反体制派の人間がいつか忽然と姿を消し、関わりを恐れる周囲の人々も口を閉ざす70年代のアルゼンチン。その時代、男女の愛の行方は?恐怖と背中合わせの愛の物語。

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初出メディア

月刊Asahi(終刊)

月刊Asahi(終刊) 1991年1月号

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