書評
『椿井文書―日本最大級の偽文書』(中央公論新社)
明らかな偽文書がなぜ今も「生きて」いるのか
確実な歴史資料=史料に依拠して、説得力ある解釈をし、論理的に仮説を構築する。かかる手順が歴史研究の基本であることは、研究者の共通認識である。史料の代表が古文書である。美術品に贋作があるように、古文書にもニセモノ=偽文書がある。一目でニセモノと分かることもあるが、巧妙に作られていて、判別の難しいものがある。また、ボス的な先生が本物として扱っている、所蔵者が有力で機嫌を損ねたくない等の事情で、これは偽文書だ!と大声を出せぬものがあったりする。
江戸時代中後期に椿井政隆という怪人がいた。興福寺に連なる国学者で、その学識を駆使して大量の古文書を創作した。椿井文書とは、政隆が偽作した文書の総称である。中世に作成された文書を近世に写した、という体裁をとるため、古文書など知らぬ近世人はコロリと騙された。椿井文書は数百点に上り、近畿一円に分布する。そして、ここが肝なのだが、それらは現代においても活用され、文化財指定を受けたものまである。
著者は大阪府枚方市の非常勤職員として地域史に取り組むうちに、ある土地の権利につき、時を遡って保証する内容を持つ偽文書に出会う。その文書を作成した人物こそ政隆であり、彼を調べていくと、次々と同じような偽文書が見つかった。政隆は近畿地方の土地争いがある場所に出没し、村人の求めに応じて、中世の古文書を偽作していたらしい。ではなぜ、科学的歴史学が発達した近現代にまで、椿井文書は「生きて」いるのか。本書はその謎に迫る。
この本は一つの文書群の真贋と正体を丁寧に明らかにしていくのだが、私は一人の誠実な歴史研究者のいわば「魂の軌跡」としても読んだ。たいへんな労作である。味読に値する一冊。
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