書評

『椿井文書―日本最大級の偽文書』(中央公論新社)

  • 2020/07/23
椿井文書―日本最大級の偽文書 / 馬部 隆弘
椿井文書―日本最大級の偽文書
  • 著者:馬部 隆弘
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(272ページ)
  • 発売日:2020-03-17
  • ISBN-10:4121025849
  • ISBN-13:978-4121025845
内容紹介:
偽文書はどう作られ、広まるのか。江戸時代に椿井政隆が作成し、近畿一円に流布して、今も影響を与え続ける数百点に及ぶ偽文書の全貌

見抜けなかった失敗から何を学ぶか

本書は「日本最大級の偽文書」の物語である。日本最大級とは「その被害規模と根深さが」という意味。偽物にも比較的「無害な」ものと有害なものがある。例えば「東日流外(つがるそと)三郡誌」や「竹内文献」は偽作と本書はいうが、これら近現代にひろまった「超古代史」モノは実害が少ない。歴史学者もちゃんと「作品だ」とわかっていて相手にせず、行政も教育や観光誘致に利用しないからである。しかし、江戸時代に創作された古文書(偽文書)は厄介である。

江戸後期から幕末にかけて、歴史ファンが偽系図師としても活躍し、武将の偽書状も大量に作った。日本中で古文書調査をした経験では、滋賀と山梨で、偽文書を多くみた。

江戸時代産の偽文書は捏造でも二百年物の古文書。大学教授や自治体の文化財担当も偽物と見抜けず、これをもとに市町村史を書いてしまうこともある。偽文書にはイエやムラに都合のよい「由緒」が記されている。観光地や文化の香りが欲しい自治体は無邪気にこれを利用。遺跡でない場所が遺跡になり、看板や記念碑が建つ。全く気の毒な話である。

事実、そうなってしまった偽の文書群が「椿井文書」である。現在の京都府木津川市山城町椿井地区に生まれた椿井政隆(1770-1837年)が、江戸後期にせっせと制作したとされる文書・絵図・系図・由緒書の類である。第二次大戦前から心得のある歴史研究者はその存在に気が付いていた。私も、京都帝大で古文書学を担当した中村直勝の著作からその存在を知り、甲賀地方で忍者研究をする際には引用しないよう警戒していた。

従来、歴史の学術研究者は偽文書を相手にしなかったが、近年は違う。偽文書も「それが作られた背景」を探ると、その時代の理解が深まるとの理由で、積極的に研究されはじめた。本書も、その流れの研究の一つである。著者は膨大な労力をかけ、椿井文書を引用してしまった自治体史リストを作成している。それは先輩研究者や行政の「失敗」の暴露でもある。

椿井が偽文書を作ったのは、本人の趣味もあったが「需要」があった。江戸後期は「由緒の時代」。身分制社会が動揺しはじめた時、豪農・豪商が自分の家柄をよく見せようと「由緒」を必要とした。また、寺社も村も利権のために「由緒」を欲した。椿井文書の範囲と制作者は今後も研究の余地があるが、需要にこたえ、椿井が中世文書の写しを贋作(がんさく)し、販売がなされたのは間違いない。しかし、京大坂の都市部には、偽物と見破れる学者もいる。椿井は、ばれないよう郡部を回って偽文書を残したともいう。

これが現代にまで禍根を残した。市町村史のなかには、2005年まで椿井文書の内容を史実としたものもある。住民にわかりやすいよう絵図を載せたら椿井の偽絵図だったりした。著者は、原本をみれば偽物と見破れたはずだ、という。最近の歴史研究者は活字やデジタル化史料ばかりみる。狭い専門にこだわり、中世・近世・近代と専門に関係なく、通時代的に歴史を語り、現物の真贋を即断できる人材が減っている。そのせいだと嘆く。それは歴史家ばかりではなかろう。万事、分野外にも通じた広い考えと、現場の生の情報の手触り感が大切である。
椿井文書―日本最大級の偽文書 / 馬部 隆弘
椿井文書―日本最大級の偽文書
  • 著者:馬部 隆弘
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(272ページ)
  • 発売日:2020-03-17
  • ISBN-10:4121025849
  • ISBN-13:978-4121025845
内容紹介:
偽文書はどう作られ、広まるのか。江戸時代に椿井政隆が作成し、近畿一円に流布して、今も影響を与え続ける数百点に及ぶ偽文書の全貌

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2020年4月25日

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