書評
『自由』(岩波書店)
「自己統治」強調で制約がより大きく
少しくらいけがをしてもいいから、自然ともっとふれあい、友だちと取っ組み合いをし、家庭と学校のみならず地域のなかで健やかに育ってゆくべきだと呼びかける一方で、「安全」という標語の下、見知らぬ大人との接触を避けるべく子どもたちを監視し、真綿の厚い囲みのなかに閉じこめる大人たち。「自己決定」に代表される現代の自由概念がなぜこうした矛盾を強いてくるのかを突きとめたいというモチーフから、本書は生まれた。自由についての議論は、抽象的になりがちだ。自由は、秩序や規律の対項として、ルールのルールを問いかえすような次元で語られざるをえないからである。
著者はそこで、「自由」の敵が何であったか、つまり何が人びとを脅かしてきたかを、まずは歴史に沿って見てゆく。他者の暴力、国家の権力、社会の同一化圧力、市場の強制力……。そしてそれが一巡し、他者による暴力が自由に対する脅威として再浮上してきている事実を、現代の「安全性に対する過度の強調」に見る。
背景にあるのは、自由の脱政治化という事態だ。「自己開発」「自己評価」「自己責任」といった標語に透けて見える〈自己統治〉の強調は、社会的な問題を個人の内部へと転換し、同時代を生きる他者たちへの関心を閉ざし、評価機関やセラピストといった専門家への依存を強め、依存的状況にある人びとへの憎悪をすらかきたててきた。「欲せざる他者との予期せぬ出会いや交渉が生じないような幅のなかに閉じていく」予防的な視線が社会に充満する。現在では、「統合の過剰」よりも「分断の深化」が自由により大きな制約をかけているというわけだ。
これに対置されるのが、自由は私の内ではなく人びとのあいだにこそあるという視点だ。自由を自己完結的な主権性と同一視するかぎり、他者とのあいだで「非決定性を相互に触発し合う創造的な緊張」は失われるというのだ。抑圧からの自由が別の抑圧へと転落してゆくプロセスを注意深くえり分けながら、最後に、他者の自由を擁護することの意味と責任へと議論は収束してゆく。
朝日新聞 2006年01月29日
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