うわさはいかに生まれ広がるか
毎年、九月になると思い出すのが関東大震災のこと。そしてこのときに流言によって朝鮮人の虐殺が行われたこと。あの悲劇はどうして起こったのか。自然災害の大きさもさることながら、人為災害としかいいようのない、あのような災害をくいとめることの重要性を思わざるをえない。
大災害のような異常事態では人々の不安感が増進し、普段だったら信じないような噂に、事実を突き止める手段も余裕もなく巻き込まれ、信じてしまうことになる。あるいは自分も流言の担い手の一人となってしまう。本書はそうした流言について社会心理学的にわかりやすく解説している。
著者は、災害に関わる問題の社会学的な解明を行う災害社会学者。様々な災害においてアンケートを実施し、人々が災害時にどのように行動し、また行政やマスコミがいかに対応したのかを探ってきている。
まず流言とデマ・噂との区別に始まり、流言の社会集団のなかでの機能、流言の心理学的なメカニズム、言語学的な表現方法など、学問的基礎知識をおさえたのち、具体的な流言の内容を紹介してゆく。
その事例は豊富で、私も一つ一つその時のことを思い出しては、流言がどのようなものであったのかを考えさせられた。
流言には、社会を攪乱し猛烈な勢いで広がってゆく「噴出流言」と、日常的なコミュニケーションによって徐々に広まってゆく「浸透流言」の二種類があり、特に問題となるのは前者であるという。
そこでは確かな情報が入らないので、人々は生死にかかわる情報を求めることになり、その要求に応じて流言が発生し広がってゆく。したがって鎮静化するためには確かな情報を持続的に流す必要があるが、これが極めて難しい。
現代のように情報を入手する手段が格段に多くなっていれば、噴出流言による社会的な混乱は少ないと考えられがちであるが、大規模なものは少なくなっても、決してそう楽観はできないようだ。
浸透流言の例で特に興味深かったのは、「口裂け女」の事件に見られる、フォークロア的な流言である。
兼好の『徒然草』は、伊勢国から女が鬼になって京に入ってきたので大騒ぎとなり、それを見ようと騒動がおきたことを記しているが、まさにその種の流言である。この鬼の話は当時、疫病が流行していたことと関わりがあると見られるが、「口裂け女」の事件の場合は、はてどうだったのかな、と思った。
また地震の予言に見られる、何度も繰り返し起きる「潜水流言」というべき浸透流言は、これからも何度も起きるという。考えてみれば、特に今の日本は経済に不安を抱え、心理的に脆弱になっているだけに、流言には弱そうだ。
そうした時、著者が指摘するように、マスコミや行政の態度が問われよう。日頃から信頼のおける関係を築いてほしいと願わざるをえない。
最後に著者は、最近になって大きな問題となっている、災害にともなって、危険の拡大を防ぐために情報を素早く伝達すること、逆に伝えないことなどによる「風評被害」についての問題点を探る。
風評により大きな損失が生まれた場合、それに関わったマスコミと行政の態度や責任について指摘している。
総じて興味深い話を興味本位にでなく、抑制された表現で、しかもわかりやすく、問題点を鋭くついた本となっている。