書評
『立花三将伝』(講談社)
激しい勢力争いの中、何を思って戦ったのか
戦国武将で一番強いのは誰? むろん歴史好きの他愛もない雑談だが、この時に決まって出るのが、北九州や朝鮮で武勲をたてた立花宗茂である。彼はもと高橋氏で、大友家随一の武将・戸次(べっき)(立花)道雪に請われて養子となった。道雪とともに宗茂の資質を開花させたのが、百戦錬磨の立花家家臣団であった。立花家は南北朝時代に本家から分立した、豊後(ぶんご)・大友氏の一族である。日本第二の商都・博多を見下ろす立花山城に拠(よ)り、西の大友と呼ばれた。博多の富を獲得するため、大友氏と山口の大内氏は長くこの地で激闘を繰り広げた。立花家はその渦中で生き残るため、強くならざるを得なかったのだ。
本書は立花家を支え、立花三傑とうたわれた三人の俊英の物語である。当時の立花家は大内氏の後継である毛利氏を後ろ盾に、本家からの独立を目論んでいた。当主の立花鑑載(あきとし)は実兄を大友に謀殺された恨みを胸に秘めていたのだ。鑑載が挙兵を決断したとき、家中は割れた。三人の親友は異なる旗のもとで戦った。大友氏は戸次道雪を出撃させて鑑載を討ったが、このとき三人はどう動き、どういう結末を迎えたか。手に汗を握る展開が、読者を待っている。
戸次道雪は立花山城と立花の名跡を与えられ、天下に武名を轟かせた。立花家臣団は新しい主である道雪に従い、やがて宗茂を守り立てていく。宗茂は数奇な運命を戦い抜き、筑後・柳川を領した。立花家は柳川の殿様として明治まで存続する。
いま道雪は立花山城の北麓にある梅岳寺に眠っている。そしてその隣には、道雪に従って大功をたてた立花三河守増時が、死後も道雪に仕えるように眠っている。この立花増時こそは三傑の一人、薦野(こもの)弥十郎の後年の姿に他ならない。
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