すごくでこぼこではない、でもなめらかでもない
本を通じて初めてその人を知る醍醐味のひとつに、「やった、信頼できる人に出会えた」という興奮がある。もちろん、会ったことなんてないのだが、そこに連なっている文字列、エピソード、気持ちに、ピタッと体がはまるのだ。大学生のころ、レンタル屋さんにDVDを借りに行くと、パッケージ裏のあらすじ紹介を読み、「この映画を見て得られる感慨と失われる二時間はどっちが上なんだろう」と考えた結果、「結局なにも借りれないまま、手ぶらで家に帰ったりしていました」とある。 ああ、もう、この人、信頼できる、と興奮する。気が合う、共感する、なんてものではない。そういうものをもうちょっと上回ったところにある信頼。イラストレーターによる初のエッセー&イラスト集に綴られている、ちょっとした感情の吐露がすうっと体に入ってくる。
「あからさまな幸せは苦手なのですが、地に足がついた嬉しいことが起こりそうだと、この機会を逃してはならないと様々な手段で底上げをする癖があります」
底上げをする癖、私にもあります。しかも、底上げしていることを誰にもバレたくない、と周囲を警戒する癖もあります。……というように、対話したくなる本というより、対話が成立してしまう本という感じ。
なぜタイトルに「ざらざら」という感触を盛り込んだのか。「なめらかには進めなかったけれど、とんでもないでこぼこでもなかったな、という部分」、つまり、「記憶のざらざらとした部分」を書いたのだそう。
日々生きていても、ドラマチックなことなんて、そんなにない。かといって退屈でもない。こういう「ざらざら」を、いつまでもさわりながら生きていく。