書評
『鷲は舞い降りた』(早川書房)
死する者のために
最近ダルタニアンにこっている。大デュマの『三銃士』のあのダルタニアンである。たいてい夜、ベッドの中で読む。これがたのしい。例えば、第二部『二十年後』。一六四九年、英国専制君主チャールズはクロムウェルに処刑された。王が断頭台上で、「覚えておけ!」と叫んだのはあまりにも有名な史実だ。この歴史上の事件に虚構のヒーローたち、ダルタニアンと三銃士が介在して、史実をいささかも変えずに手に汗握る伝奇ロマンに仕立てあげている。
大デュマにならって、史実と虚構をないまぜにしたエンターテインメント数々あれど、近年の上出来はやっぱりジャック・ヒギンズの『鷲は舞い降りた』につきるだろうか。
第二次世界大戦中、一九四三年十一月六日、ドイツ落下傘兵の小部隊がイギリス軍の軍装をして、イギリス、ノーフォークに落下傘降下、週末静養中のチャーチルを誘拐してヒトラーのもとに連れてくるという大胆不敵な作戦とその遂行を描く。
小説の劈頭(へきとう)、作者ヒギンズが登場して、物語の内容の少なくとも五〇パーセントは証拠書類の存在する歴史的事実である、と保証している。信じることにしよう。
『二十年後』では、チャールズを断頭台から救出しようとダルタニアンたちが周到な策をめぐらせ、いま一歩で成功というところで、とんでもない偶然が割りこんで失敗に終わる。チャールズの首は史実通りに落ちる。
もちろん、ドイツ落下傘部隊も、チャーチルの誘拐に失敗して潰滅する。もし彼らが成功していたら、歴史は歴史的な歪曲をうけて呻きをあげることになっただろう。かたや誘拐劇、かたや救出劇という違いはあるが、アイデア、結構はじつによく似ている。
『鷲は舞い降りた』のミソは、作戦を遂行するドイツ落下傘部隊十七人が歴戦の勇士であるのはむろんだが、シュタイナ中佐に率いられた全員が個性的で人間味にあふれ、かつヒトラーやヒムラーに強い反感を抱く冒険家たちであることだ。これがもし、ナチ親衛隊のような連中だったとしたら、たとえ手に汗握る冒険活劇だろうと、彼らに五百ページ近くも付き合わされるなんて真っ平だが、シュタイナたちはそうではない。作戦に失敗した彼らの最期は、悲惨かつ崇高なのだ。包囲された教会の中で、兵士の一人はオルガンにむかい、バッハのコラール前奏曲〈死する者のために〉を弾きながら撃ち殺される。バッハやゲーテを生み、ヒトラーを生んだドイツへのヒギンズの複雑な鎮魂の思いがこもる。
小説の末尾で、再びヒギンズ自身が登場して、彼らが死力を尽くして誘拐しようとしたチャーチルは替え玉で、じつはチャーチルの真似の巧みな寄席芸人だったことを明らかにする。史実では、作戦実行の一九四三年十一月五日と六日、チャーチルはテヘラン会談に出席するため、戦艦リナウンでアルジェリアにむかっていた。
「ミスタ・チャーチル」シュタイナが一瞬、口ごもった。「意に反することではありますが、わたしは任務を果たさなければなりません」
「それなら、なぜためらっているのだ?」首相が落ち着いた口ぶりでいった。
シュタイナが射殺される寸前、一瞬あいまみえ、対決した堂々たるチャーチルは偽物だった。つまり、シュタイナも、この場合チャーチルも架空の人物同士として対決したのだ。史実は何も変わらない。
【この書評が収録されている書籍】