書評
『コレクションズ』(早川書房)
七十年代、閉ざされたドアを見るたび、その向こうで自分の不利になるようなことが起こっているのではないかと怯える男を主人公にした、ジョゼフ・ヘラーの『なにかが起こった』(角川書店)が全米でベストセラーになった。職場では隙あらば自分を蹴落とそうとするライバルたちに囲まれ、家庭ではアル中気味の妻と反抗期の娘から非難され……。そんな重圧の中、無責任に破廉恥に生き延びようとする中年男のドタバタぶりを描いた『なにか――』に見られた、不安の萌芽(ほうが)。ジョナサン・フランゼンの『コレクションズ』は、ヘラーがかつて描いた社会が個人に与えるプレッシャーと不安のありさまを、二十一世紀風により深化させた形で提出している。
主人公は、心臓地帯(ハートランド)と呼ばれる中西部の田舎町に暮らすアルフレッドとその妻イーニッド。アメリカ中西部といえば、愛国心と郷土愛に満ちた人々が住まう保守的な土地柄で知られているけれど、以前、とあるドキュメンタリーを見て腰を抜かしたことがある。高学歴の資産家が、やはり有名大学で生物学を学びダーウィンの進化論の正しさを恐る恐る口にする息子に向かって、ピシリと言い放ったのだ。「祈りなさい」。……というように、いまだ神による天地創造を心の底から信じている人々の多い土地らしいのだ、アメリカのハートランドは。
さて、アルフレッドと妻イーニッドには三人の子供がいる。両親に心配をかけ通しなのが次男のチップ。女学生と関係を持ったばかりに助教授の任を解かれ、それがもとで転落の一途。一方、末っ子のデニースは人気シェフとして成功を収めているが、彼女もまた愛情生活では失敗の連続。長男ゲイリーだって、人も羨(うらや)むエリート銀行マンではあるものの、家庭生活では妻と息子たちから仲間はずれにされて爆発寸前。両親は両親で、アルフレッドはパーキンソン病、イーニッドは夫の支配的な態度に我慢ができなくなり結婚生活は失敗だったのではないかとすら思い始めている。そんなイーニッドに最後に残された望みが、家族揃って中西部の我が家でクリスマスを祝うことだったのだが――。
そう、これは家族の絆の修正(コレクションズ)の物語なのだ。そして、その中には拝金主義や効率至上主義、特権階級意識、他国に“USA”を押しつける厚顔無恥ぶりなど、アメリカがたどってきた道のりが、その足跡がもたらした社会的弊害が、個々人を覆う不安の影が、一般人の目線の高さで盛り込まれている。ブッシュ政権を支持し、神に愛されしアメリカの正義を露とも疑わず、自分たちに抵抗する民族を「悪の枢軸国」と呼ぶことをためらわない、アメリカ人の中のアメリカ人が生きる“純朴な”ハートランドを背景にしながら。ここに提出されているそうした問題ゆえに、あの9・11の同時多発テロが起きたのではないか、と想起されるリアリティーをもって、フランゼンは戦後から現代に至るアメリカを浮き彫りにするのだ。
しかも、読みやすくて面白い! 十ページに一回は笑えること請け合い。特に、妻から「あなたは鬱病なのよ」と決めつけられ、母親べったりの息子には「パパは不気味だよ!」と嫌われてしまう長男ゲイリーの受難ぶりは、冒頭に挙げた『なにかが起こった』の主人公の姿に重なって、引きつった笑いをもたらす。時にシニカル、時にスラップスティック、そして時にハートウォーミングなエピソードや台詞がちりばめられていて、五百二十ページニ段組の長さが気にならないどころか、もっと読んでいたいと思えるほど。とはいえ、この小説で描かれている不安は、アメリカを、世界を、どこに導いていくのだろうか。読後、深く考えこまされもする。それもまた傑作の証(あかし)なのである。
【下巻】
【この書評が収録されている書籍】
主人公は、心臓地帯(ハートランド)と呼ばれる中西部の田舎町に暮らすアルフレッドとその妻イーニッド。アメリカ中西部といえば、愛国心と郷土愛に満ちた人々が住まう保守的な土地柄で知られているけれど、以前、とあるドキュメンタリーを見て腰を抜かしたことがある。高学歴の資産家が、やはり有名大学で生物学を学びダーウィンの進化論の正しさを恐る恐る口にする息子に向かって、ピシリと言い放ったのだ。「祈りなさい」。……というように、いまだ神による天地創造を心の底から信じている人々の多い土地らしいのだ、アメリカのハートランドは。
さて、アルフレッドと妻イーニッドには三人の子供がいる。両親に心配をかけ通しなのが次男のチップ。女学生と関係を持ったばかりに助教授の任を解かれ、それがもとで転落の一途。一方、末っ子のデニースは人気シェフとして成功を収めているが、彼女もまた愛情生活では失敗の連続。長男ゲイリーだって、人も羨(うらや)むエリート銀行マンではあるものの、家庭生活では妻と息子たちから仲間はずれにされて爆発寸前。両親は両親で、アルフレッドはパーキンソン病、イーニッドは夫の支配的な態度に我慢ができなくなり結婚生活は失敗だったのではないかとすら思い始めている。そんなイーニッドに最後に残された望みが、家族揃って中西部の我が家でクリスマスを祝うことだったのだが――。
そう、これは家族の絆の修正(コレクションズ)の物語なのだ。そして、その中には拝金主義や効率至上主義、特権階級意識、他国に“USA”を押しつける厚顔無恥ぶりなど、アメリカがたどってきた道のりが、その足跡がもたらした社会的弊害が、個々人を覆う不安の影が、一般人の目線の高さで盛り込まれている。ブッシュ政権を支持し、神に愛されしアメリカの正義を露とも疑わず、自分たちに抵抗する民族を「悪の枢軸国」と呼ぶことをためらわない、アメリカ人の中のアメリカ人が生きる“純朴な”ハートランドを背景にしながら。ここに提出されているそうした問題ゆえに、あの9・11の同時多発テロが起きたのではないか、と想起されるリアリティーをもって、フランゼンは戦後から現代に至るアメリカを浮き彫りにするのだ。
しかも、読みやすくて面白い! 十ページに一回は笑えること請け合い。特に、妻から「あなたは鬱病なのよ」と決めつけられ、母親べったりの息子には「パパは不気味だよ!」と嫌われてしまう長男ゲイリーの受難ぶりは、冒頭に挙げた『なにかが起こった』の主人公の姿に重なって、引きつった笑いをもたらす。時にシニカル、時にスラップスティック、そして時にハートウォーミングなエピソードや台詞がちりばめられていて、五百二十ページニ段組の長さが気にならないどころか、もっと読んでいたいと思えるほど。とはいえ、この小説で描かれている不安は、アメリカを、世界を、どこに導いていくのだろうか。読後、深く考えこまされもする。それもまた傑作の証(あかし)なのである。
【下巻】
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初出メディア

PHPカラット(終刊) 2003年5月号
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