書評
『この世を離れて』(早川書房)
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
『山椒魚』で知られる作家・井伏鱒二が訳した漢詩にもあるとおり、生きることはたしかに別れの連続だ。卒業や転校、失恋など、涙にくれながら、後ろを何度も振り返りながら、誰もがたくさんの別れを経験していく。そんな中で、再会という甘い夢のつけいる隙もない、一番のつらい別れが“死”。たとえば、愛犬が目の前で車にひかれ死んでしまった光景を想像してほしい。取り返しがつかない。なす術(すべ)がない。死っていうのは、いつも下り慣れた階段を降りていったら不意に段がないところに出くわしたようなもので、それはいつ、どこで、誰の身に降りかかるかわからないのだ。愛する者がこの世からいなくなる、それこそが本物の恐怖だとわたしは思う。
ラッセル・バンクスの『この世を離れて』は、十四人の子供が犠牲になったスクールバス事故がもたらした悲劇を、残された側の人間の視点から描いていろんなことを考えさせてくれる。愛する者に突然この世を去られてしまった人間にできることは何なのか。悲劇の渦中にあっても、人は他者を思いやる品性を失わずにいられるか。悲しみの矢に貫かれた人間はどうやってその傷を癒やしたらいいのか。そもそも、傷は癒されうるものなのか――。作者のそんな真摯な問いかけが、行間から聞こえてくる小説なのだ。
バスを運転していたドロレス。障害者の夫を抱えながらも気丈にふるまう彼女が背負わされた重い十字架。事故で双子の子供を亡くしたビリー。妻をガンで亡くした上に我が子まで奪われた彼のカラッポな魂。事故の責任を州なり町なりに求めて多額の保障金を引き出すための過失訴訟を起こそうと、被害者家族をたきつける弁護士ミッチェル。彼が直面する人としての倫理と職業倫理の矛盾。バスに乗り合わせて九死に一生を得たものの不治の障害を負ってしまった少女ニコル。生き残ったがゆえに、大人たちのさまざまな思惑にさらされる彼女の困惑と最後に下す決断。
本書には、彼ら四人各々の視点から見た、大きな悲劇に見舞われた小さな町の住人たちの動向が詳細に描かれている。この手法によって、悲劇には悲しみ以外の側面――怒り、憎しみ、反発、対立、許し――もあることを、バンクスは浮かび上がらせる。その上で、静かな、でも、きっぱりとした声で問いかけてくるのだ。あなたなら、死という永遠の別れとどう対峙するのか、と。読後、本を閉じることができない。それほどまでにこの問いかけに答えるのは難しく、そしてこの問いかけは一度でも愛する者を死で失ったことのある人間にとってはとてつもない痛みを思い出させるものだから。しかも、正しい答えはどこにもない。誰もがいつか必ず直面しなくてはならない問いだというのに。
生きるって、ほんとにしんどい。四十一歳になったって、わからないことばっかりだ……。(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2003年)
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

毎日中学生新聞(終刊) 2003年1月20日
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