書評

『神秘の短剣〈上〉 ライラの冒険II』(新潮社)

  • 2021/09/18
神秘の短剣〈上〉 ライラの冒険II / フィリップ・プルマン
神秘の短剣〈上〉 ライラの冒険II
  • 著者:フィリップ・プルマン
  • 翻訳:大久保 寛
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(277ページ)
  • 発売日:2004-01-28
  • ISBN-10:4102024131
  • ISBN-13:978-4102024133
内容紹介:
オーロラの中に現れた世界に渡ったライラ。そこは魔物が住み、子どもしかいないチッタガーゼという街だった。そこでライラは別の世界から来たウィルという少年に出会う。二人は特殊な窓を通り、ウィルの世界とチッタガーゼを行き来する。やがて二人は不思議な短剣の存在を知るが、ライラは大切な真理計を何者かに盗まれてしまう…。世界的ベストセラーの冒険ファンタジー第2弾。
ライラ・シルバータン。わたしたちの世界と似てはいても、多くの点で異なる世界にいる少女。相棒はダイモン(守護精霊)のパンタライモン、通称パンと、正しい道へと導いてくれる羅針盤に似た真理計。怒りっぽいけれど正義感に満ちていて、決して弱音を吐かない凛々(りり)しいお転婆娘が、子供たちがさらわれる事件をきっかけにジプシャンの一団と北の海へと旅立ち、気球乗りのリーや鎧をつけた白熊イオレク、齢三百歳の美しい魔女セラフィナらと力を合わせて、邪悪なくわだてに立ち向かい――。

ライラの冒険シリーズIにあたる『黄金の羅針盤』は、まったくもって驚くべき一冊だった。小説の醍醐味のひとつに、無から有を生じさせるダイナミズムがあるとするなら、『黄金の羅針盤』はまさにその見本だ。たとえば、ダイモン。ライラが生きる世界では、どんな人間にも必ずそれが寄り添っていて、話ができるのはもちろん、離ればなれになると互いに心が引き裂かれる苦痛を覚えるほどの絆で結ばれている。子供のうちは守護する人間の心の動きに合わせて様々な生き物に変身するダイモンは、やがて、大人に成長するとひとつの形に姿を定める。つまり、ダイモンというのは守護する人間の精神の核のごとき存在なのだろう。ライラとパン、この魅力的なコンビの冒険にハラハラさせられるうちに、自分にもダイモンがいればなあと夢想させられる。いや、見えないけれどきっといるはずで、それはどんな動物の姿をしているのだろうと考えないではいられなくなる。

それこそが文学の力だ。此処(ここ)ではない何処かを、自分ではない誰かを、夢みないではいられないわたしたちの心に、新しい此処や誰かを深く棲みつかせてしまうことこそが。ファンタジーの世界には、にわかには信じがたい突飛な設定が多々仕掛けられている。しかし、素晴らしい書き手ならそれをいともたやすくリアルに転じさせることができる。人間の心にひそむ否定できない邪悪さや、何かを守るためには別の何かを犠牲にしたり傷つけなくてはならない局面もあるという生の残酷。作者のフィリップ・プルマンは、そうした我々が実人生でさらされている試練から目をそむけず、自然な形で物語中に挿入することで、リアルというハードルを飛び越えるのに成功しているのだ。

「この巻はわれわれ自身の世界からはじまる」という作者の覚え書きが冒頭に置かれた、待望のシリーズII『神秘の短剣』も同様だ。精神が衰弱した母親を悪いヤツから守ろうと腐心するけなげな少年ウィル・パリーが、偶然に見つけた別の世界チッタガーゼへの入口。そこには子供しか存在しない。というのも、大人たちの魂を喰ってしまうスペクターという正体不明の物質が蔓延しているからだ。さて一方、前作のラストでオーロラの向こうに浮かぶ空中都市を目指したライラも、この奇妙な場所にたどり着く。そして、ライラのことを世界の運命を決定する子供と確信している魔女セラフィナや、我が娘のようにライラを愛する気球乗りのリーもまた――。

ライラの世界にあった子供の精神にだけ作用するダストと、ウィルの世界で確認された意識を持つ粒子シャドー、そしてチッタガーゼにはびこるスペクターの関連性。ライラと父親、ウィルと父親、ライラとウィル、三様の絆の行方。天使をも巻き込む世界戦争の予感。その中で真理計を持つライラと、神秘の短剣の守り手となったウィルが果たす役割とは? シリーズI巻目を上回る謎の洪水と、力強いストーリーテリングが読者をぐいぐい引っ張って、やがてさらなる新しい世界へと連れ去ってくれる。

その新世界では、鎧をつけた白熊イオレクと同じ眼差しを持つ頼もしい少年ウィルの存在ゆえに、男の子顔負けだったライラが以前よりも可憐さを増し、とある人物が雄々しくも哀しい最期を遂げ(三九六ページ、号泣必至!)、たくさんの喜びと同じくらいたくさんの血が流され、共感とドキドキと涙は前作比二倍。このハイテンションなストーリー展開からすると、「各世界間を移動する」ことになっている完結作では、おそらくこれまでの登場人物が総出演し、とんでもなくスケールの大きな大団円へとなだれ込むにちがいない! 『神秘の短剣』を読み終えたばかり、興奮収まりきらないうちから、早くも心は第III巻へと飛んでいる始末なんである。来年の春刊行なんて待ち切れないっ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2000年)。

最後に、「ファンタジーなんか子供が読むものでしょ」とたかを括っている方へ。それは大変な誤り。証拠がこのシリーズなんである。読めば、わかる。絶対、わかる。

【下巻】
神秘の短剣〈下〉 ライラの冒険II / フィリップ・プルマン
神秘の短剣〈下〉 ライラの冒険II
  • 著者:フィリップ・プルマン
  • 翻訳:大久保 寛
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(274ページ)
  • 発売日:2004-01-28
  • ISBN-10:410202414X
  • ISBN-13:978-4102024140
内容紹介:
ライラとウィルは不思議な短剣を手に入れ、ウィルはその守り手となった。これを使えばどこでも空中に窓を切り開き、容易に別の世界へ行ける。しかしこの短剣を狙っている者はウィルの世界にも、チッタガーゼにもいた。追っ手は日に日に迫ってくる。ライラとウィルに課せられた使命とは…。気球乗りや魔女たち、そして天使たちまでも巻き込んで、物語はさらに大きく広がっていく。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。


【復刊】
神秘の短剣: ダーク・マテリアルズII / フィリップ・プルマン
神秘の短剣: ダーク・マテリアルズII
  • 著者:フィリップ・プルマン
  • 翻訳:大久保 寛
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(280ページ)
  • 発売日:2021-04-26
  • ISBN-10:4102024190
  • ISBN-13:978-4102024195
内容紹介:
アスリエル卿を追って謎のオーロラへ足を踏み入れたライラと、行方不明になったままでいる探検家の父親を探していた少年・ウィル。二人はそれぞれの住む世界から時空を超え、第三の世界・チッ… もっと読む
アスリエル卿を追って謎のオーロラへ足を踏み入れたライラと、行方不明になったままでいる探検家の父親を探していた少年・ウィル。二人はそれぞれの住む世界から時空を超え、第三の世界・チッタガーゼへ迷い込んだ。一方、アスリエル卿の改革が教権との大戦争を引き起こすと予期した魔女たちは、鍵を握るグラマン博士の捜索に乗り出した。異世界の住人たちが続々と動き出す、波乱の第二幕!

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

神秘の短剣: ダーク・マテリアルズII / フィリップ・プルマン
神秘の短剣: ダーク・マテリアルズII
  • 著者:フィリップ・プルマン
  • 翻訳:大久保 寛
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(270ページ)
  • 発売日:2021-04-26
  • ISBN-10:4102024204
  • ISBN-13:978-4102024201
内容紹介:
チャールズ卿に盗まれた真理計(アレシオメーター)を取り戻すため、ライラとウィルは、再び魔物がうごめくチッタガーゼにやってきた。ここでウィルが手指二本と引き換えに〈神秘の短剣〉を受け… もっと読む
チャールズ卿に盗まれた真理計(アレシオメーター)を取り戻すため、ライラとウィルは、再び魔物がうごめくチッタガーゼにやってきた。ここでウィルが手指二本と引き換えに〈神秘の短剣〉を受け継ぐと、なんと、空中を切り開いて別世界への入口を作れるようになった! 次々と別世界へ移動し、短剣を狙う敵から逃れながら旅を続ける二人。ウィルの父親は生きているのか? 魔女たちが囁くライラの使命とは?

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。



【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

神秘の短剣〈上〉 ライラの冒険II / フィリップ・プルマン
神秘の短剣〈上〉 ライラの冒険II
  • 著者:フィリップ・プルマン
  • 翻訳:大久保 寛
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(277ページ)
  • 発売日:2004-01-28
  • ISBN-10:4102024131
  • ISBN-13:978-4102024133
内容紹介:
オーロラの中に現れた世界に渡ったライラ。そこは魔物が住み、子どもしかいないチッタガーゼという街だった。そこでライラは別の世界から来たウィルという少年に出会う。二人は特殊な窓を通り、ウィルの世界とチッタガーゼを行き来する。やがて二人は不思議な短剣の存在を知るが、ライラは大切な真理計を何者かに盗まれてしまう…。世界的ベストセラーの冒険ファンタジー第2弾。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

波

波 2000年3月号

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
豊崎 由美の書評/解説/選評
ページトップへ