本文抜粋

『海のロシア史―ユーラシア帝国の海運と世界経済―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/01/05
海のロシア史―ユーラシア帝国の海運と世界経済― / 左近 幸村
海のロシア史―ユーラシア帝国の海運と世界経済―
  • 著者:左近 幸村
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(354ページ)
  • 発売日:2020-12-09
  • ISBN-10:4815810087
  • ISBN-13:978-4815810085
内容紹介:
第一次グローバリゼーションのもと、東アジアの海とヨーロッパの海を結んだ長距離航路と、義勇艦隊が果たした役割とは。政治と経済が混然一体となった海洋戦略により、極東を含む帝国の辺境を統合、国際的経済闘争への参入を試みる姿を捉え、ロシア史をグローバルヒストリーに位置づける。
広大な領土を誇ったロシア帝国。「陸の帝国」というイメージが強いが、このたび刊行された『海のロシア史』ではその海運の歴史に着目し、これまでほとんど光が当てられてこなかったもう一つの姿を描き出している。いわゆるグローバルヒストリーにもつながる、世界的にもめずらしい本書の試みを、本文から一部抜粋してご紹介する。

「陸の帝国」史観を超え、ロシア史をグローバルヒストリーに位置づける

本書が描く歴史像は、ある観点からは斬新に見えるだろう。本書の挑戦は、世界的に見てもまれなものである。しかし問題意識や研究手法の点から見ると、本書のような研究はありふれている。日本国内に限っても、類書はあまたある。本書が斬新に見えるとすれば、それは、ロシアの海運の歴史に着目しているからである。逆に、ありふれているように見えるとすれば、本書がいわゆるグローバルヒストリーや帝国論の一環をなしているからである。

グローバルヒストリーとして想定されている研究の中身は論者によって異なり、その定義は必ずしも明確ではない。だが、T・ロイとG・リエロの編集により2019年に刊行された『グローバル経済史』は、グローバルヒストリーと呼ばれている研究が主にどのような問題に取り組んでいるのか、理解する手がかりになる。同書は、三つのパートに分けられており、第一部が「グローバルヒストリーにおける分岐」、第二部が「世界経済の出現」、第三部が「グローバルな経済的変化への地域的視点」となっている。本書の問題意識は、主に第三部のテーマに属するものであり、第二部のテーマとも関連している。同書の序論で、「ミクロ・グローバルヒストリー」という一見自家撞着のような言葉も紹介されているが、そこでも指摘されているように、「グローバル」な現象と「ローカル」な現象の関連性こそ、グローバルヒストリーの重要な関心の一つである。本書も、ロシアの海運の発展が「グローバルな」流れのなかにあることを強調する一方、第I部を中心として、「ローカル」な視点も重視している。

ロシアの海運史に関する先行研究は、ロシアでも決して多くない。それは、ロシアが一般に「陸の帝国」と認識されていることと無関係ではないだろう。本書も、広大な領土がロシア帝国を特徴づけたことを、否定するつもりはない。だが、19世紀の後半から20世紀初頭にかけて、ロシア帝国はユーラシア大陸を取り囲むように航路網を張り巡らせていた。ロシアはコア地域と周縁の境界が曖昧な、典型的な「大陸帝国」だが、海運を利用する動機は十分にあった。この事実には、国内外を問わず、これまで限られた光しか当てられて来ていない。本書が航路網に注目したのは、必然的に外国との接点が多くなる海運を対象として取り上げれば、ロシア帝国論とグローバルヒストリーの接合が図れるのではないかと考えたからである。

ロシア義勇艦隊

なかでも本書は、オデッサ-ウラジオストクを結んだロシア義勇艦隊に着目する。この船団は1877-78年の露土戦争の戦後処理をきっかけに設立され、ロシア革命後の内戦期に分裂、消滅する組織であり、20世紀を迎えるころには、オデッサ-ウラジオストク間を年間20往復ほどした。最初は政府から独立した協会としてスタートするものの、後に海軍省長官、日露戦争後には商工大臣の下に入る。最初は4隻だけだったが、1913年の時点で、37隻(うち3隻はチャーター)を所有するまでになった。

当初の設立目的は戦時の哨戒用だったが、戦争に従事する機会はほとんどなく、歴史的意義としてはロシア極東への人員、物資の輸送と、中国(後に南アジアからも)からの茶の輸送が第一に挙げられる。加えて日露戦争後には新規事業にも乗り出し、アメリカへのユダヤ人移民やムスリムのメッカ巡礼者の輸送にも従事した。義勇艦隊の活動については、ロシア史の研究の中でしばしば触れられるものの、断片的な情報にとどまっており、その全体像を把握しようとする試みは、ロシアでもほとんどなされていない。予め断っておけば、本書も義勇艦隊の全体像というわけではなく、第一次世界大戦勃発後の活動や、オホーツク海方面への航路の役割については、限定的にしか触れることができない。それでも、本書はこれまでにない、義勇艦隊について世界でもっともまとまった本となる。

ロシアの海運史を描く場合、歴史の長さや組織としての大きさからいえば、1856年に設立されたロシア商業汽船社(以下、ロシア商船)に焦点を当てるのが適当だろう。しかし後述するように、筆者の関心が義勇艦隊とかかわりの深い極東地域史から出発していることに加え、本書は商業活動のもつ政治性に着目する。そうすると、設立の経緯から政治的論争になりやすかった義勇艦隊の方が、ロシア帝国の省庁間、中央-地方間の見解の相違を浮き彫りにし、帝国の構造を明らかにするのに役立つと思われる。実際、歴史家の注目を、限られた形とはいえ、より集めてきたのは義勇艦隊の方である。もちろん、帝政期最大の海運会社であるロシア商船も研究する価値があるが、本書では義勇艦隊の方を中心に据え、ロシア商船は概観する程度に限定する。

本書が主に扱う第一次世界大戦前の四半世紀は、「第一次グローバリゼーション」とも呼ばれるほど、交通や通信網が発達して、地球上の経済の一体化が進んだ時期であり、ロシアの交通網の発展も、その流れの中で捉えられる。

このように本書は、目新しい対象を取り上げつつも、近年の歴史研究の流れに棹をさしており、これまでの歴史研究におけるいくつかの欠落部分、つまり19世紀後半に一体化していく世界経済の流れに、ロシアがどのように対応し、ロシア帝国の統合と拡張にどのような影響を与えたかを、明らかにしようとする試みである。

*

本書の構成

第I部である第1章から第3章までは、19世紀半ばから第一次世界大戦勃発までのロシア極東の歴史を、主に周辺アジア地域との関連から描いていく。ロシア極東といっても、以下本書では19世紀半ばに清から獲得したアムール川左岸と、ウスリー川右岸を指すこととする。ロシアでは当時プリアムーリエ(アムール川沿いの地)と呼ばれていた地域である。日本においてロシア極東の歴史は、どうしても日露関係史の観点から語られがちであった。だが近年は、より多角的な関係が重視されるようになっており、本書もそうした傾向を反映している。ロシア語の史料を見ると、特にロシア側に重要視されていたのは中国との関係である。ロシア極東と満洲という地域間で見ると、穀物が重要な取引物であったが、国と国との関係で見ると、茶が大きな割合を占めていた。第3章では、その茶貿易に着目するが、汽船の重要性を指摘することにより、第II部への橋渡しにもなっている。

第II部は、義勇艦隊の設立から、オデッサ-ウラジオストク間の航路が中断を余儀なくされる第一次世界大戦勃発までを扱う。前述のように、義勇艦隊をめぐるロシア政府内の論争を通じて、私たちはロシア帝国の対外的戦略や、統合策を知ることができる。その関連で第5章では、19世紀末のロシアの経済政策に大きな影響を及ぼした、財務大臣セルゲイ・ヴィッテの思想と海運政策を検討する。それはヴィッテの一連の政策とそれへの同時代人の評価が「第一次グローバリゼーション」へのロシアの対応を端的に表していると思われるからである。

第III部では、義勇艦隊以外のロシアの汽船会社も見ていく。第7章では、義勇艦隊が日露戦争後に就航した、大西洋航路と日本海付近の極東近海航路を見る。その際、同時期に同じ路線に就航したロシア東亜汽船も取り上げ、ロシア政府が義勇艦隊をどのように活用しようとしたのかを、明らかにする。第8章では、ロシア東亜汽船と同じくデンマークから参入した北方汽船の歴史を取り上げる。北方汽船は模索の末、最終的に茶の輸送で義勇艦隊のライバルとなった。第8章で、再び茶貿易の話に回帰することになる。そして第9章は、ロシア帝国最大の商船会社であったロシア商船の歴史を概観する。

このように本書では、航路を通じたロシア帝国の東と西、あるいはロシアとアジアの関係を中心に見ていくが、ロシアがこうした航路を開拓することが可能になったのも、スエズ運河が1869年に開通したからである。ロシア政府は、スエズ運河を通航する船に補助金を出すことで、東へ向かう航路を支援したが、この問題について検討した研究はほとんどない。そこで、最後に補論として、この問題を取り上げることにしたい。

[書き手]左近幸村(1979年生、新潟大学経済科学部准教授)
海のロシア史―ユーラシア帝国の海運と世界経済― / 左近 幸村
海のロシア史―ユーラシア帝国の海運と世界経済―
  • 著者:左近 幸村
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(354ページ)
  • 発売日:2020-12-09
  • ISBN-10:4815810087
  • ISBN-13:978-4815810085
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第一次グローバリゼーションのもと、東アジアの海とヨーロッパの海を結んだ長距離航路と、義勇艦隊が果たした役割とは。政治と経済が混然一体となった海洋戦略により、極東を含む帝国の辺境を統合、国際的経済闘争への参入を試みる姿を捉え、ロシア史をグローバルヒストリーに位置づける。

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