後書き
『チューリップの文化誌』(原書房)
はるか遠い昔から人間は、とくに日本人は、植物に強い関心をいだき、愛してきました。実は食べ物として、花は愛でる対象として、幹は住宅や道具の材料として、なくてはならないものでした。そればかりか、植物は神の化身とされ、愛を伝え、欲望と争いの対象ともなってきました。
植物と人間――その強いつながりを「歴史」「文化」「暮らし」などの視点から描くユニークな「花と木の図書館」シリーズの刊行が始まりました。その最初の一冊『チューリップの文化誌』の訳者あとがきを公開します。
NHK放送文化研究所世論調査部編『日本人の好きなもの――データで読む嗜好と価値観』(日本放送出版協会/2008年)によると、花の部門でチューリップは桜に次いで堂々の2位になっている。
そういえばわたしの友人に、自分の知らない花はなんでもかんでも「チューリップ」にして女子連の顰蹙(ひんしゅく)をかっている男がいた。ウケねらいのところもあったのだろうが、彼の脳内に「花といえばチューリップ」という図式ができていたのはまちがいない。
それはそうだろう、おそらく大多数の人にとって――ある年代までかもしれないが――最初におぼえた花の歌は童謡の「チューリップ」であり、お絵かきの時間に書いた花の絵はチューリップだったろうから。子供時代の記憶はかくも強い。
だがもちろん、チューリップの花は赤白黄色だけではないのである。本書『花と木の図書館 チューリップの文化誌』は、この花がたどってきたはるかな旅路、人間の営みや国家とのかかわり、人々がそそいだ愛と情熱をひもといてゆく。
各章ごとにチューリップの側面が浮かびあがり、しだいに立体的な像をむすんで、読後は一輪のチューリップの背後に広がる壮大な空間、波瀾万丈の歴史、無数の花姿(と名前)に圧倒されるような思いがするだろう。
チューリップの故郷は中央アジアの山岳地帯から中東にまたがる地域だ。そこには今も野生種が咲き、風に揺れているに違いない。
チューリップの祖先は何万年前に誕生したのだろうか。やがてシルクロードを通ってペルシアやトルコにたどり着き、「ラーレ」と呼ばれ、壮麗なチューリップ文化を築く。そしてトルコでヨーロッパ人と出会い、輸入されたあと、有名なチューリップ狂時代をオランダで引き起こす。その史上初といわれるバブル経済事件だけでなく、チューリップはつねに各国の悲喜こもごもの歴史とともにあり、不屈の探究心と真摯な研究心に支えられながら、現在の身近な花になっていったのである。
本書には数多くのカラー図版が掲載されている。多種多様な野生種の写真をはじめ、トルコの絵画やタイル、オランダ黄金時代の絵画や風刺画、チューリップ狂時代に人々を夢中にさせた縦縞模様のチューリップの水彩画、現代美術など、眺めているだけでも楽しい。
著者のシーリア・フィッシャーは美術を専門とするだけあって、こうした絵画に関する記述は本書の読みどころのひとつだ。とくに花の静物画の変遷のくだりは、すとんと胸に落ちるのではないだろうか。
日本では富山県と新潟県がチューリップ栽培の拠点となっており、新品種の育成もさかんにおこなわれている。原種系チューリップの人気も高まってきた。なんと「冬咲き」のチューリップというのもあるという。
本書の読後、緑の指を持っている人もそうでない人も、新たにチューリップの球根を植えて育ててみようと思ってくださったら、あるいはチューリップを目にとめたとき立ち止まって花をじっくり眺めていただけたら、それにまさる喜びはない。
[書き手]駒木令(翻訳家)
植物と人間――その強いつながりを「歴史」「文化」「暮らし」などの視点から描くユニークな「花と木の図書館」シリーズの刊行が始まりました。その最初の一冊『チューリップの文化誌』の訳者あとがきを公開します。
チューリップはなぜ世界中で愛されるようになったのか
チューリップは日本人にとっても親しい「春の花」だ。寒い冬が過ぎてやわらかな陽光があたりに満ちる頃、公園や家々の花壇に色とりどりのチューリップが咲きはじめ、道行く人の目を楽しませてくれる。NHK放送文化研究所世論調査部編『日本人の好きなもの――データで読む嗜好と価値観』(日本放送出版協会/2008年)によると、花の部門でチューリップは桜に次いで堂々の2位になっている。
そういえばわたしの友人に、自分の知らない花はなんでもかんでも「チューリップ」にして女子連の顰蹙(ひんしゅく)をかっている男がいた。ウケねらいのところもあったのだろうが、彼の脳内に「花といえばチューリップ」という図式ができていたのはまちがいない。
それはそうだろう、おそらく大多数の人にとって――ある年代までかもしれないが――最初におぼえた花の歌は童謡の「チューリップ」であり、お絵かきの時間に書いた花の絵はチューリップだったろうから。子供時代の記憶はかくも強い。
だがもちろん、チューリップの花は赤白黄色だけではないのである。本書『花と木の図書館 チューリップの文化誌』は、この花がたどってきたはるかな旅路、人間の営みや国家とのかかわり、人々がそそいだ愛と情熱をひもといてゆく。
各章ごとにチューリップの側面が浮かびあがり、しだいに立体的な像をむすんで、読後は一輪のチューリップの背後に広がる壮大な空間、波瀾万丈の歴史、無数の花姿(と名前)に圧倒されるような思いがするだろう。
チューリップの故郷は中央アジアの山岳地帯から中東にまたがる地域だ。そこには今も野生種が咲き、風に揺れているに違いない。
チューリップの祖先は何万年前に誕生したのだろうか。やがてシルクロードを通ってペルシアやトルコにたどり着き、「ラーレ」と呼ばれ、壮麗なチューリップ文化を築く。そしてトルコでヨーロッパ人と出会い、輸入されたあと、有名なチューリップ狂時代をオランダで引き起こす。その史上初といわれるバブル経済事件だけでなく、チューリップはつねに各国の悲喜こもごもの歴史とともにあり、不屈の探究心と真摯な研究心に支えられながら、現在の身近な花になっていったのである。
本書には数多くのカラー図版が掲載されている。多種多様な野生種の写真をはじめ、トルコの絵画やタイル、オランダ黄金時代の絵画や風刺画、チューリップ狂時代に人々を夢中にさせた縦縞模様のチューリップの水彩画、現代美術など、眺めているだけでも楽しい。
著者のシーリア・フィッシャーは美術を専門とするだけあって、こうした絵画に関する記述は本書の読みどころのひとつだ。とくに花の静物画の変遷のくだりは、すとんと胸に落ちるのではないだろうか。
日本では富山県と新潟県がチューリップ栽培の拠点となっており、新品種の育成もさかんにおこなわれている。原種系チューリップの人気も高まってきた。なんと「冬咲き」のチューリップというのもあるという。
本書の読後、緑の指を持っている人もそうでない人も、新たにチューリップの球根を植えて育ててみようと思ってくださったら、あるいはチューリップを目にとめたとき立ち止まって花をじっくり眺めていただけたら、それにまさる喜びはない。
[書き手]駒木令(翻訳家)
ALL REVIEWSをフォローする





































