書評
『中曽根内閣史―理念と政策』(世界平和研究所)
「歴史をも仕切る」したたかさ
中曽根康弘氏は政治家としてとことんしたたかであるに違いない。現実政治を五年間支配した上、今度は歴史をも仕切ろうというのだから。もっとも自ら作った財団で資料を整理し自らの足跡を顕賞ならぬ検証するのは、大統領型首相をめざした中曽根氏にとって、当然の営みであろう。アメリカでは引退した大統領はみな自らの名を冠した図書館を作り、資料を保管して回顧録を執筆するのが常のことだからである。ところが日本では二十世紀の政治史をふり返ってみても、生存中にこれを果たした元首相は中曽根氏以外にはいない。これはいかにこれまでの日本の政治家が、現実政治を歴史の文脈の中で捉えようという感覚に乏しかったかの実証に他ならない。その意味では中曽根氏はよきにつけ、悪しきにつけパイオニアとして名を止めることになる。
さて四巻の予定のうち二巻を出した「中曽根内閣史」の出来栄え如何(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1996年)。いずれも中曽根内閣の周辺にいた人々の手になる論稿だが、精粗や濃淡の差があるのはあたりまえだ。ただ未だ客観化するのに時間が充分でないためか、検証はともすれば顕賞に傾きがちであるのは否めない。ただその後の日本政治の迷走ぶりを見れば、たとえサクセス・ストーリーにせよ本書が放つ華やかさと魅力にひかれるのも、また事実である。
本書の白眉は何と言っても、中曽根氏自身が記した「官邸日記」の抄録だ。またそれを活用した松田喬和の論稿が出色の出来である。始終決断を迫られる最高責任者が、政治を言葉に置きかえる行為を通じてのみ、過去と対話しそして未来を予測しうる。そのことの凄味が、ひしひしと伝わってくるのだ。同様に政策決定や評価にあたって、いつも歴史の先例をひきあいに出しているのも中曽根氏の特徴である。
アメリカに、政治指導者における歴史認識の政策決定への影響を研究する“UsesofHistory”という学問分野がある。日本には該当する政治家が少ないと見られてきたが、どうやら中曽根氏には充分その資格があると思われる。
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