スマホでおなじみの「スマートスキン」(画面を2本の指で触れて広げたりする「ピンチング」技術)の生みの親であり、ユーザーインターフェース研究の世界的第一人者、暦本純一さんの著書『妄想する頭 思考する手』から「アイデア発想法」のヒントを探る。
「新しいことを考えなければ」と悩んでいるすべての人へ
私の仕事は「発明」である。これまで世の中に存在しなかった新しい技術を生み出すのが、研究者である自分の役目だ。これまで自分が研究者として何件の特許を取ってきたのか、ちゃんと数えたことがないのでよくわからない。少なくとも100件を超えているのはたしかだ。
その発明の中でも、世間でいちばんよく知られているのは「スマートスキン」というマルチタッチインターフェースだろう。
名前を聞いただけではピンと来ないかもしれないが、スマートフォンを持っている人なら、この技術は誰でも毎日のように使っているはずだ。ピンチング(画面の上で2本の指を広げたり狭めたりすること)によって写真やテキストなどの拡大・縮小ができるあの技術だ。全世界で、億単位の人々が使っている。
発明というと、なんだか大袈裟な話に聞こえるかもしれない。
でも、言葉の意味を「新しいものを生み出す」ことと広くとらえて考えてみると、これはそんなに特別な仕事ではない。「新しいものを生み出す」こととまったく無関係でいられる仕事は、たぶん、世の中にほとんどないはずだ。
とくに現在の社会は、あらゆる分野で「イノベーション=変革」が必要とされている。私たちのような研究者やエンジニアが新しいテクノロジーの開発を求められるのと同じように、どんな業種でも、新しい商品やサービスなどの「発明」が常に求められている。
しかも、社会の変化の度合いはさらに加速している。そして、ただその変化についていくだけでなく、時代の変化を少しずつ先取りすることで、他人よりも前に出たいと誰もが考える。
だから、ライバルとの激しい先陣争いをくり広げているのも、私たち研究者だけではない。ITをはじめとするテクノロジーの開発競争と同じように、あらゆる分野で仕事をする人たちが、日夜「誰が先に新しいアイデアを実現するか」という競争にさらされているにちがいない。日進月歩のイノベーションが求められる中で、多くの人が強い義務感に追い立てられるように「何か新しいことを考えなければ」「どうすれば新しいアイデアが思い浮かぶのだろう」と悩んでいるようにも見える。
アイデアの源泉はいつも「自分」
私がこの本を書こうと思ったのは、イノベーションをめぐるそんな雰囲気に、強い違和感を抱いているからだ。私たち人間は、いつも「新しいもの」を求めている。インターネットがなかった時代に戻れないように、新しいアイデア、新しい道具、新しい体験は、日々の生活や自分の人生をより良く、より便利に、より楽しくしてくれる。仕事でも、趣味や遊びでも、「こういうふうになったら面白いのに」「こうしたらもっと楽になるはず」などと新しい工夫を考えるのは、誰にとってもワクワクする時間ではないかと思う。
私は研究者として、それを仕事にしてきた。これまで世の中に存在しなかった新しいものを生み出すのは、じつにエキサイティングで楽しいことだ。
しかし、必ずしも最初から「世の中にはこういう問題があるから解決しなければ」といった使命感に衝き動かされて考えているわけではない。
たとえば私が発明したスマートスキンやマルチタッチの研究、人間拡張のアイデアについて、その発想はどこから得るのかとよく聞かれるが、アイデアの源泉は、いつも「自分」だ。誰に頼まれたわけでもなく、むりやり絞り出したわけでもなく、自分の中から勝手に生まれてくるのだ。そう、それは「妄想」である。妄想から始まるのだ。
妄想から始めよう
我々は、現在の延長で物を考えがちである。妄想は、今あるものを飛び越えて生まれるものであり、だからこそ「新しい」。いや、何かを妄想しているとき、最初からそれが新しい発想だとは自分でもわかっていないかもしれないのだ。むしろ「なんでこうなっていないんだろう」「こっちのほうが自然じゃないだろうか」と漠然と思っているだけで通り過ぎてしまう場合も多い。だから、妄想によって「新しいことを生み出す」には、思考のフレームを意識して外したり、新しいアイデアを形にし、伝えたりするためのちょっとしたコツが必要だ。頭の中の妄想を、手で思考するのだ。この本では、そういった思考の方法や発想のコツなどを、自分の経験を踏まえながら具体的に紹介する。実際に自分のアイデアをまとめるときやソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)での研究、そして東京大学大学院の暦本研の学生たちの指導にも活用しているこれらの方法は、研究職以外のビジネスパーソンにも大いに参考になるはずだ。
[書き手]暦本純一
東京大学大学院情報学環教授、ソニーコンピュータサイエンス研究所フェロー・副所長、ソニーCSL京都ディレクター。博士(理学)。ヒューマンコンピュータインタラクション、特に実世界指向インタフェース、拡張現実感、テクノロジーによる人間の拡張に興味を持つ。世界初のモバイルARシステムNaviCamや世界初のマーカー型ARシステムCyberCode、マルチタッチシステムSmartSkinの発明者。人間の能力がネットワークを介し結合し拡張していく未来ビジョン、IoA(Internet of Abilities)を提唱。