書評
『錦繍』(新潮社)
優雅な坂道のような書簡体小説
この八月から九月末にかけて、中国の西安を根城にして黄河流域やウルムチ、トルファンなどの西域地方を旅してきた。旅慣れているつもりだが――例えば、どんなかたちのコンセントにも対応できるプラグ、小型変圧器、本にしおりのように挟めるアメリカ製読書灯から胃腸薬、コルク栓抜きに至る僕なりの七つ道具はOKだが、ひとつ苦労するのが持ってゆく本の選択だ。道中それほど多く読めるわけではないが、宿舎のベッドでなくてはならないものだ。準備の時、ついあれもこれもと書棚に手がのびるが、本は重いから厳しく選択して最小限にとどめる。そこで今回は十冊を選んだが、中に小説が二つあった。フィールディングの『トム・ジョウンズ』(但、これは岩波文庫で四分冊あり、(一)(二)のみ携行)、もう一つが宮本輝の『錦繡』。奇妙な取り合わせだが、出発前の昂揚した時の第六感というやつで、実際西安では捨て子トム・ジョウンズの冒険物語を、トルファンでは甘やかな書簡体小説をたのしんで、我ながら冴えた選択であったと悦に入った次第。荒涼とした岩山と小石だらけのトルファン盆地の賓館の一室で、窓からその名の通り赤く燃えたつような、木の一本もない火焔山を眺めながら、蔵王の紅葉で始まり、京都・山科の紅葉で終わる優雅な坂道のような書簡体小説(ロマネスク)を味わった。その陶酔感は、ちょうどその前日、ウルムチの友人宅で荒々しく苛烈な「イリ」という強い白酒の肴に、なんと食いものでなく、持参の清酒「久保田」をあてがった時の驚くべき澄明で深い酔心地にそっくりだったのだ。
十年前に夫婦だった亜紀と靖明は、蔵王のゴンドラ・リフトの中で偶然再会する。靖明が浮気相手の女との無理心中事件にまきこまれての離婚だった。現在、亜紀は再婚して知恵遅れの子をうみ、育てている。靖明はやることなすことうまくゆかず、やくざの取立屋に追われている。この遭遇がきっかけで、亜紀が、愛し合っていた二人が別れる原因になった由加子という女との事件の真実を知りたくて靖明に手紙を書くというところから小説ははじまる。
二人のゆっくりしたテンポの往復書簡の中から、やがて男女の愛憎の深さ、その計り難い闇が、彼ら自身の傷のかさぶたを剝ぐような作業によって明らかになってゆくが、この作業そのものが二人を「いま」と「未来」の生へと駆動させてゆく。つまり、別れてしまって対立する二人が、手紙という対話(ダイアローグ)によって弁証法的に止揚されてゆくという結構の、きわめて倫理的な小説なのだ。しかし、物語の中心に据えられているのは、由加子という謎めいた女の存在とその自殺事件だ。じつはこれが『錦繡』の生命(いのち)であり、反倫理的存在とエピソードが小説の中心で力をふるっているからこそ、かくも魅力的なロマネスクが成立したものだともいえる。
全体が亜紀からの八通、靖明からの六通の手紙だけで構成されているが、こういう手紙が実際に書かれうるかどうかという詮索は、小説の起源に手紙があると僕は確信しているから、どうでもいいことだ。僕の興味は一に、物語の中で第三者が現れ、二人の、または一方の手紙を読む展開に至るかどうかにあった。案の定、靖明の現在の恋人である令子が亜紀からの五通の手紙を読む。読んで令子が靖明にしがみついて、「うち、あんたの奥さんやった人を好きや」という。僕はトルファンの宿で、この場面を読んで不覚にも涙を流した。令子という第三者の介在によって、亜紀、靖明はもちろん、この小説自体が浄化されているのだ。
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