書評
『ピープルの思想を紡ぐ』(七つ森書館)
水平的な共生めざす「まつろわぬ」宣言
本書は……現代日本の政治・思想・文化の状況に対するつよい違和の念に貫かれています。
本書はこのような言葉で始まる。「まつろわぬ」ことの表明である。「まつろわぬもの」、それは坂部恵の定義によれば、「秩序のあらためての『聖別』としての『まつり』に参与せぬもの」のことである。「まつろわぬ」ことが、時代の巨(おお)きな濁流に抗しえず「空振り」し、メッセージを届けるべき次の世代に「そっぽを向かれ」ても、それでも声を張り上げる、そんな宣言である。
眠ってはならない、みなが寝入っているあいだにこそ問わねばならない、そんなミネルヴァの梟(ふくろう)のような想いが、著者のこれまでの「オルタナティブな思想」を駆ってきた。オルタナティブには言うまでもなくさまざまな形がある。その形は増殖すればするほどよい。著者のそれも増殖に増殖をくりかえしてきた。
著者がここで対抗すべき巨きな流れとして引きずりだすのは、ナショナリズムとグローバリズムだ。それに対抗的に立てるのは「ピープルネス」と「サブシステンス」の思考である。
講演録が中心になっており、現場の声というより骨太のやや大ぶりな言葉がめだつが、運動を増殖させる過程で共振した別の骨太の声を深い敬意とともに引いているのでそれを引くと、ピープルネスとは石牟礼道子のいう「ごくごく小さなものの中に生きる思いや優しさ、威厳を見つけていく方向」であり、サブシステンスとは滝沢克己のいう「人間共通の低みに立つ」思想であり、安里清信のいう「生存基盤に根を張る」生き方だ。
アイヌ民族の詩を論じ、コモンズ(共有財)の保全運動を論じ、田中正造の思想を論ずるなかに、所轄庁による「認証」ではなく、市民が、あるいは当事者自身が「公益」かどうかを判断し選択する、そういう「水平的な自治、分権、協同、共生」の運動に与(くみ)してきた著者の半生が折り重なる。彼にとって、「地域」も「共生」もけして融和の場所ではなく、〈触発〉と〈闘い〉の現場だったことが、隠そうにも隠しえない苦々しさをまじえて書きとめられている。
朝日新聞 2006年3月19日
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