書評
『死支度』(講談社)
達観した主人公に託した性的遺書
この著者には、2006年刊行の私小説『小説家』という傑作がある。純文学からスタートして、娯楽小説、官能小説に移行した経緯を恋愛遍歴とともに率直に吐露した感動作だった。4年後に上梓(じょうし)された本書は、さながら古酒の樽(たる)の栓を抜いたような、風味豊かな独白体の連作短編集に仕上がっている。語り手の〈儂(わし)〉は99歳。老人用施設に収容された109歳を自称するボケ老人。もっとも当人はボケているとは思っておらず、延々と性にまつわる妄想譚(もうそうたん)を、7話にわたって披露する。
第1話で、〈儂〉は妻の民子を失ったあと、至高の悦楽に包まれて死にたい、と考える。そこで思いついたのは、女性の体毛を大量に収集し、袋に詰めて枕と掛け布団を作り上げ、それに体をゆだねて断食死するという、途方もない計画だった。25年の年月と5億円の金を費やして、〈儂〉はその希望を実現させる。
ところが、いざ枕と布団にくるまれ、断食死しようとする間際に、家を訪れた隣人に発見され、施設に収容されてしまう。死にそこなった〈儂〉は、ベッドに寝たきりになりながら、施設で働く看護師や、収容された他の老人たちを相手に、さまざまな性談議を繰り返す。
その中には、体毛を提供した女性の何人かが枕越しに〈儂〉に語りかけてくる、というケースもある。そうした融通無碍(ゆうずうむげ)な語り口で、義足を愛撫(あいぶ)されて快感を覚える女や、女体にさわることで形を確かめる盲目の彫刻家の話など、魅惑的なエピソードが紹介される。さらに、自分が女になって悦楽を味わうといった、思いつく限りの性的妄想が次つぎに繰り出されて、目が回るほどだ。
著者は、透徹した目とたくまざるユーモアで、底知れない性的うんちくを傾ける。しかし、そこにはいやらしさなど、微塵(みじん)もない。この小説は、いまだ達観の域にいたらぬ著者が、達観した〈儂〉にあこがれつつ書いた〈性的遺書〉、と呼んで差し支えないだろう。
すべての〈儂〉にお薦めしたい、本年の掉尾(とうび)を飾る佳作だ。
朝日新聞 2010年12月5日
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