書評

『とこしえのお嬢さん: 記憶のなかの人』(平凡社)

  • 2017/07/19
とこしえのお嬢さん: 記憶のなかの人 / 野見山 暁治
とこしえのお嬢さん: 記憶のなかの人
  • 著者:野見山 暁治
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(126ページ)
  • 発売日:2014-10-20
  • ISBN:4582836747

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「人間」と出会えるポルトレ

パスカルは『パンセ』でこんなことを言っている。「自然な文体に出会うと、人はすっかり驚いて、夢中になる。なぜなら、一人の著者を見ると思っていたところで、一人の人間と出会ったからだ」(拙訳)。今日も精力的に描きつづける画壇の巨匠が九四年の人生で出会った「記憶のなかの人」をポルトレ風に描いた本書はまさにこうした一冊。一読、読者はパスカルの言葉に深くうなずくにちがいない。

パンセ (中公文庫) / パスカル
パンセ (中公文庫)
  • 著者:パスカル
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(644ページ)
  • 発売日:1973-12-10
  • ISBN:4122000602

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たとえば、掉尾(ちょうび)に置かれた「ある弔文―武富京子」。「わざわざお越しいただき恐縮です。武富京子は、亡くなりました。わたしのカミさん、七十五歳でした。(中略)酒と男が好きで、クラブのママさん稼業になったと言ってました。酒はわざわざ断るまでもなく、毎晩酔っぱらっている。ワインの吟味もうるさいが、それより精根かたむけて、おいしい料理に挑むのです。(中略)興味をもてば、すぐにもつっ走る。女学生のころ、<風と共に去りぬ>の映画見たさに、家にはこっそり、長崎から船で上海へ。第二次大戦の真っ只(ただ)中だったそうです」

たとえば「チャカホイと軍人と女―“林芙美子”」。大戦前夜、著者が上野の飲み屋で上級生と酔っ払い「チャカホイ」と歌い出すと、軍人が「それでもお前ら、日本国民か」と怒り出した。すると、林芙美子とおぼしい女客がいきなり「なにが悪いんだよ」と言い放った。「踊りなさいよ、と彼女は動けないでいるぼくらをけしかけ、軍人だけが国を守ってるんじゃないよ、と軍の端くれにたたみかけた。あんたたち、彼女はまじまじとぼくたちの一人一人を見据えた。卒業すりゃ兵隊だろ、戦地に征(い)くんだろ、堂々と飲みなさいよ」

たとえばタイトルに使われた「とこしえのお嬢さん―センゴク・シズコ」。センゴクさんはアトリエ近くの薔薇(ばら)園で出会った年齢不詳の日本人女性。父は満鉄総裁で、小学校に行かず、家庭教師から教育を受け、親の死後、宏大(こうだい)な屋敷を売り払って姉と二人でパリに来た。「彼女はあっけらかんとしている。この人の吐きだす言葉、ほんとうに匂いを伴わない。いつだったか、彼女の部屋を訪ねると、昨夜遅かったのか、脱ぎすてられた下着がベッドの縁(へり)に掛けたままだった。ぼくは絵具拭きにボロ切れが沢山いる。捨てるような布はないのと聞くと、縁にあったパンティを、ひょいと手渡してくれた」。帰国した著者のもとにセンゴクさんからハガキが届く。「捜し当てた家の土間に立つと、上がり框(かまち)の畳の上に老婆が蒲団(ふとん)にくるまって寝ていた。目の前だ。婆や起きなくていいのよ、と奥から声がかかり、センゴクさんが現れた。老婆はゆっくりと上半身をおこし、お嬢さま、申し訳ありませんと、そのまま切なく畏(かしこ)まっていた」

ことほどさように、女性に対しては限りなく優しいポルトレばかりだが、男性に対しては、岡本太郎、加藤周一、坂本繁二郎と案外厳しく本質を衝(つ)いたポルトレが多い。中で傑作は「武士は食わねど―篠原一男」だろう。

この建築家の返す言葉は、いつも冷ややかだ。再三にわたってぼくのカミさんが台所の狭さをなじったとき、篠原さんは言った。食べ物のことを気にするのは下等動物です

最後に「ある弔文」の言葉をもう一度掲げよう。亡き妻へのこの批評は著者の本質でもあるからだ。「男も女もない。人間、大好きなんです」「歓(よろこ)びと同じくらい、哀(かな)しみにも浸るでしょう」
とこしえのお嬢さん: 記憶のなかの人 / 野見山 暁治
とこしえのお嬢さん: 記憶のなかの人
  • 著者:野見山 暁治
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(126ページ)
  • 発売日:2014-10-20
  • ISBN:4582836747

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2014年11月16日

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