書評

『マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/11/25
マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統― / J・G・A・ポーコック
マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統―
  • 著者:J・G・A・ポーコック
  • 翻訳:田中 秀夫,奥田 敬,森岡 邦泰
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(718ページ)
  • 発売日:2008-01-10
  • ISBN-10:481580575X
  • ISBN-13:978-4815805753
内容紹介:
マキァヴェッリによる古典共和主義思想の復興に注目し、イタリアから英米へと展開する「シヴィック・ヒューマニズム」の軌跡を掘り起こした記念碑的名著。「共和国の不安定性」を焦点とする思想史上の一大事件を捉え、その巨大な波動と思想世界の総体的変動を、広大な射程と圧倒的な迫力をもって描き出す。

共和主義をめぐる研究・論争の中心となる記念碑的著作

記念碑的著作の記念碑的翻訳である。政治理論や思想史の分野では、自由主義に代わる選択肢として共和主義に関心が寄せられてきたが、本書は、1975年の公刊以来、共和主義をめぐる研究・論争の中心にある。

共和主義とは、共和国、つまり王のいない国家をめざす政治思想ではないのか。単純明快に定義できるはずの共和主義は、しかし本書の影響ゆえ、「シヴィック・ヒューマニズム」や「マキァヴェリアン・モーメント」という、いささか秘教的な響きの専門用語とともに語られてきた。

このうち「シヴィック・ヒューマニズム」とは、もともとはルネサンス人文主義の一変種、すなわち古代ギリシア・ローマの文献研究を重視する立場の、一変種のことである。「シヴィック」という形容が付くのは、それが、書斎にひきこもるのでなく、古代の政治思想を手掛かりに積極的に政治参加すべきことを説くからである。本書は、こうした「シヴィック・ヒューマニズム」と共和主義を等置し、ヨーロッパ文化圏における共和主義の思想史を跡づけていく。

厄介なのは、「マキァヴェリアン・モーメント」である。見落とされがちではあるが、本書に一貫するのは、ヨーロッパにおける時間意識の変容というテーマであり、さらには時間の政治学という分析の視座である。そして、ポーコックが描きだす共和主義は、変転する不安定な人間世界の時間の経過のなかで、安定的・持続的な政治共同体を求めて、その腐敗や崩壊に抗する思想、つまりは時間を超越すべく格闘する思想である。本書のマキァヴェリは、権謀術数の教師ではなく、政治共同体の安定を求めて運命の女神を手なづける、シヴィック・ヒューマニストの代表なのである。

永遠たるためには、普遍的でなければならない。ここに、政治に参加して協働することを通じて人間は完成する、と論じたアリストテレスの政治学が登場する。この古代ギリシア人に従う共和主義は、哲学や信仰を通じて永遠・普遍に到達するのでなく、ある個別的な時間・空間における政治という協働の営みを通じて普遍性をめざす。

かくして「マキァヴェリのモーメント」には、二つの意味が与えられる。いずれにも共通するのは、モーメントの語義どおり、時間軸上において点で表現される不連続性である。第1は歴史的な意味であり、それは過去のある瞬間を示す。マキァヴェリの瞬間とは、この世に永遠性を認めない中世キリスト教の時間意識からの解放の時、共和主義的・マキァヴェリ的な思考が登場した時である。

第2は理論的な意味であり、それは、時間軸上に存在する共和国をめぐってマキァヴェリが直面した問題群、つまりは持続性・安定性に関して共和主義が抱えた問題群や契機のことである。ここには、個別的な時間・空間にて普遍性を追求する困難、時間の変転に対する警戒、滅びざるをえない共和国のはかなさ、といったテーマが含まれる。

こうした観点からすれば、王がいるか否かは二次的な問題であり、むしろ、共和国の永続性を護るものと脅かすものの対立こそが、共和主義の中心主題となる。「徳と腐敗」の対立とはこのことである。それは、政治が市民の徳(公共精神)に支えられた協働の営みとして普遍性を維持できるか、あるいは公が私で置き換わり、政治が特定人物や私的利益と結びついた個別的な営みに堕するか、という対立である。つまり、ポーコックの共和主義の思想史は、徳の政治学の系譜物語となる。

ここに、16世紀フィレンツェ、17世紀イングランドの内乱、18世紀英国での商業をめぐる論争、そしてアメリカ独立革命が、共和主義の壮大な「トンネル史」として連結させられる。この背後には、政治思想史は個人の権利や利益を立脚点とする自由主義の完成物語ではない、という挑戦が潜んでいる。

もちろん本書に対する批判は数多く、思想史解釈に限っても争点は膨大である。トンネルのそもそもの出発点は本当にアリストテレスか。トンネルが狭くないか。つまり、並行して走るトンネル(制限王政論、立憲主義、さらには自由主義)と実は合流しており、他の時代・地域も経由したのではないか。徳と腐敗という道具でトンネルを掘ったのは適切か。今回の日本語版が収録した著者の回顧論文は、本書をめぐる論争を伝える。

訳者の一人、田中秀夫氏は、早くからポーコックの業績を紹介し、日本での共和主義研究を牽引してきた。原文の忠実な翻訳をめざした訳文は、一気に読み通せるものではないが、その原因は原文自体に由来する(欧米でも、本書は読まれずに論じられている、と公然と語られてきた)。しかし論述の基本線を追うのは困難ではなく、2段組みで500頁超の訳業を完成させた訳者の苦労は報われている。

訳文に接するにあたりひとつ留意すべきは、キーワードの「シヴィック」が「市民的」「市民」と訳されたことである。本書の「シヴィック」は、公共的な意思決定への参加を意味するので、この「市民」は、積極的に政治参加する存在のことである。こうした事情から、政治学者はこの「シヴィック」を「政治的」とも訳すが、しかし、この語は党派性・権力・謀略という含意にあまりに汚されている、との批判も有力である。

つまり、ここで指摘されるべきは、訳者が苦渋の末にこの訳語を採用した可否ではなく、現在の日本語が「シヴィック」に適切に対応する言葉や概念をもたない、という事実である。そのような言語体系や世界観を前提に、われわれの政治や社会のシステムは成立している。本書がなによりもまず教えるのは、この点である。

[書き手]犬塚元(法政大学教授、政治思想史)
マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統― / J・G・A・ポーコック
マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統―
  • 著者:J・G・A・ポーコック
  • 翻訳:田中 秀夫,奥田 敬,森岡 邦泰
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(718ページ)
  • 発売日:2008-01-10
  • ISBN-10:481580575X
  • ISBN-13:978-4815805753
内容紹介:
マキァヴェッリによる古典共和主義思想の復興に注目し、イタリアから英米へと展開する「シヴィック・ヒューマニズム」の軌跡を掘り起こした記念碑的名著。「共和国の不安定性」を焦点とする思想史上の一大事件を捉え、その巨大な波動と思想世界の総体的変動を、広大な射程と圧倒的な迫力をもって描き出す。

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