書評

『甘粕大尉』(筑摩書房)

  • 2022/05/31
甘粕大尉 / 角田 房子
甘粕大尉
  • 著者:角田 房子
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(386ページ)
  • 発売日:2005-02-09
  • ISBN-10:4480420398
  • ISBN-13:978-4480420398
内容紹介:
関東大震災下に起きた大杉栄虐殺事件。その犯人として歴史に名を残す帝国陸軍憲兵大尉・甘粕正彦。その影響力は関東軍にもおよぶと恐れられた満洲での後半生は、敗戦後の自決によって終止符が打たれた。いまだ謎の多い大杉事件の真相とは?人間甘粕の心情とは?ぼう大な資料と証言をもとに、近代史の最暗部を生きた男の実像へとせまる。名著・増補改訂。

現代史のナゾを洗い出す

甘粕正彦は、関東大震災の直後におこった大杉栄虐殺事件の犯人として知られているが、むしろ彼のはたした歴史的な役割は、偽国家満州国の建設の黒幕としての活躍にあったといえる。彼は十年の刑期を二年余に短縮されて出所しフランスへ留学した後、満州(中国の東北地方)へ渡り、関東軍と密接な連絡をとりながら、攪乱工作に従い、さらに廃帝溥儀の引き出しをはじめとするさまざまな裏面活動を行った。謀略組織大東公司を創設し、協和会総務部長となり、最後には満映理事長となった。その間に満州国外交使節の副団長として渡欧し、彼なりの文化国家構想を実現しようとつとめた。
彼は敗戦直後の一九四五年八月二十日に、公私にわたる身辺の整理を終えて服毒自殺したが、大杉事件に関する真相はついに語らずに死んだ。こういった彼の足跡は、現代史の影の部分を象徴するかに思われるが、彼を知る多くの関係者は、その人柄について違った印象を抱いている。

大杉虐殺事件についても、甘粕個人の発意による犯行ではなく、忠実な軍人としての意識からその罪をかぶったとみなす人が多い。また満映時代の彼を知る人々には、左翼の転向者もまじっていたが、思想的には批判的な立場に立つはずの者さえ、甘粕の人間的魅力をみとめているくらいだ。この一見矛盾した印象はどこからくるのか。角田房子はそういった疑問から出発し、甘粕正彦の生涯と彼をめぐる現代史のナゾを洗い出している。

作者は多くの関係者の話をきき、文献にあたって甘粕の足どりを丹念に追ってゆくが、けっしてせっかちな結論を出そうとはせず、多角的に照射することで、事実そのものに語らせようとする方法をとっている。そのやりかたは冷静そのものだが、その裏には甘粕と彼を生んだ時代にたいする反省や批判も忘れていない。

「藪の中」を思わせるような大杉事件のナゾにふれた部分は、歴史推理のおもしろさがあり、フランス時代の叙述には、甘粕の内面にふみこんだ解釈がみられる。さらに満州時代については、日本の東北侵略と、幻影の城満州国の誕生から終焉までを、一個のドラマとして語っているが、作者の甘粕観は「“忠君愛国”を日本人の至上の目標として教えこまれた時代の、まっ正直な日本人の典型」としてとらえるところにあるようだ。

前作「いっさい夢にござ候」では、陸軍部内の西欧派であった本間雅晴中将の悲劇的生涯を描いていたが、「甘粕大尉」ではさらに現代史のさまざまな問題にふれており、時代と人間との関係にひとつのバイアスをみせてくれる。なお甘粕のフランス時代の鬱屈した日々についての記録は、ほとんど残っていないが、その空白の部分を埋め、それを彼の生涯の転換点としてとらえているあたりには、作者の外国生活の体験が感じられて興味深かった。
甘粕大尉 / 角田 房子
甘粕大尉
  • 著者:角田 房子
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(386ページ)
  • 発売日:2005-02-09
  • ISBN-10:4480420398
  • ISBN-13:978-4480420398
内容紹介:
関東大震災下に起きた大杉栄虐殺事件。その犯人として歴史に名を残す帝国陸軍憲兵大尉・甘粕正彦。その影響力は関東軍にもおよぶと恐れられた満洲での後半生は、敗戦後の自決によって終止符が打たれた。いまだ謎の多い大杉事件の真相とは?人間甘粕の心情とは?ぼう大な資料と証言をもとに、近代史の最暗部を生きた男の実像へとせまる。名著・増補改訂。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1975年9月19日

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
尾崎 秀樹の書評/解説/選評
ページトップへ