書評

『澤柳政太郎―随時随所楽シマザルナシ』(ミネルヴァ書房)

  • 2017/07/31
澤柳政太郎―随時随所楽シマザルナシ  / 新田 義之
澤柳政太郎―随時随所楽シマザルナシ
  • 著者:新田 義之
  • 出版社:ミネルヴァ書房
  • 装丁:単行本(341ページ)
  • 発売日:2006-06-01
  • ISBN-10:4623046591
  • ISBN-13:978-4623046591
内容紹介:
澤柳政太郎(一八六五〜一九二七)。教育学者、教育行政家、成城教育の創始者。明治中期から大正末にかけて、日本の教育界の育成に自らの一生を捧げたこの人物を、教育の荒廃が叫ばれる今こそ我々は改めて想い起こす必要があるのではなかろうか。この書はその際のささやかな手がかりとなることを願って執筆されたものである。
澤柳政太郎といえば、多くの人は「澤柳事件」を思い出すであろう。しかも、きわめて教科書的なイメージとして。しかし、それは澤柳政太郎の人生の中でほんのわずかな部分に過ぎない、本書は膨大な資料の精査を通して、これまでほとんど知られていない人物の全体像を明らかにした。

澤柳政太郎は文部官僚でありながら、立派な学者であり、現場で実践を重ねてきた教育者でもある。東京帝大を卒業した後、文部省に入り、弱冠二十六歳で文部書記官となった。二年後に依願退官となり、大谷尋常中学校などの私立中学で指導に当たった。三十代の前半に第二高等学校長就任を皮切りに、各高等学校や大学の長を歴任し、大正二(一九一三)年に京大総長に就任した。大学の停滞を一掃するために、医科、理工、文科各大学の七人の教授に勇退を勧告した。本人たちの了承をえたにもかかわらず、法科大学教授会の反発を招き、事態が紛糾した。世に言う「澤柳事件」である。文部省の仲介で双方が話し合いで問題を解決したが、事件の後、総長の職を辞した。だが、ここから教育者としての真骨頂を発揮した。私立成城小学校を創設し、自ら構想した教育を実践しながら、理想的な学校作りの模索に残りの人生のすべてを賭けた。日々の激務をこなす一方、専門的な著書や論文を次々と発表し、抜群の英語やドイツ語力を生かして西洋の教育学論著の翻訳を手がけた。幾たびも海を渡り、東西の学術交流にも尽力した。

なぜいま澤柳政太郎なのか。第一の理由として、教育問題に対する関心が挙げられるであろう。ドイツの思想家ルドルフ・シュタイナーの教育論を数多く翻訳してきた著者にとって、日本で独自の教育思想を持つ澤柳政太郎の再発見はごく自然のことであろう。

伝記の本としていくつかの特色がある。まず、人物伝にありがちな誇張や神話化もなければ、ゴシップ趣味もない。そもそも本書は偉人伝とまったく性格の違うものとして構想された。経歴や事件は淡々と語られている一方、欧米の教育思想をいかに消化し、日本社会に適合する教育の理念と、それを実現させるための方法をいかに考案し出されたかが重点的に紹介されている。

「伝記文学」という言葉からもうかがえるように、ふつう人物伝は暗黙のうちに文学扱いにされることが多い。だが、本書では不要な文飾がすべて退けられ、記述の正確さを最大限に優先させた。禁欲的な文体は独特の美学の現れで、早くから「史伝」を志す著者にとって、精錬に精錬を重ねた叙述こそ、人物伝の理想的な表現形式だったのであろう。

三つ目の特色は、一人の人物だけでなく、近代教育のために努力してきた人たちの群像をも浮かび上がらせたことだ。澤柳政太郎が中心だが、その周辺の重要人物も適宜に紹介されている。人材のネットワークを描き出すことで、近代教育が確立される過程における澤柳政太郎の役割がいっそう明瞭に見えてきた。

専門的な見地からすると、本書はきわめて興味を惹く書物だ。著者は比較文学者でありながら、珍しくも伝記という様式で研究成果を発表してきた。取り上げられた人物には詩人もいれば、宣教師や教育者もいる。分野がそれぞれ違うものの、いずれも東西文化に跨って、文化の橋渡し役を果たした人たちである。文化交流史を全方位に把握するのに、忘れられがちな人たちにも目を配る必要がある。著者の一連の仕事はそのことをつよく示唆した。この意味では本書は一人の歴史的人物を甦らせたに止まらず、伝記の新たな可能性を示したと言えよう。

澤柳政太郎―随時随所楽シマザルナシ  / 新田 義之
澤柳政太郎―随時随所楽シマザルナシ
  • 著者:新田 義之
  • 出版社:ミネルヴァ書房
  • 装丁:単行本(341ページ)
  • 発売日:2006-06-01
  • ISBN-10:4623046591
  • ISBN-13:978-4623046591
内容紹介:
澤柳政太郎(一八六五〜一九二七)。教育学者、教育行政家、成城教育の創始者。明治中期から大正末にかけて、日本の教育界の育成に自らの一生を捧げたこの人物を、教育の荒廃が叫ばれる今こそ我々は改めて想い起こす必要があるのではなかろうか。この書はその際のささやかな手がかりとなることを願って執筆されたものである。

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毎日新聞

毎日新聞 2006年6月18日

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