書評
『一九九一年 日本の敗北』(新潮社)
「湾岸」で露出した行政の弊害
早いもので湾岸戦争からすでに三年が経ようとしている(ALL REVIES事務局注:本書評執筆年は1994年)。あの戦争は日本にとって何だったのか。国際貢献ということで増税してまで提供させられた百三十億ドルはどんな意味があったのだろう。武力戦の決着がついてしばらくして、ワシントン郊外の自宅でワシントン・ポスト紙を広げたある日本の外交官はわが眼を疑った。在ワシントンのクウェート大使館提供の全面広告が掲載されており、平和を回復した中東地図にクウェートの国旗がひるがえっている。そして「ありがとう、アメリカ。そしてグローバル・ファミリーの国々」という見出しがあり、湾岸の平和達成に貢献した三十カ国の名前が列挙されていたのである。だがそのなかにジャパンの文字がない! 国民一人当たり一万円も負担した日本が、感謝リストから漏れているのだ。本書のタイトルが示すように「日本の敗北」は明白であった。
著者は緻密(ちみつ)な取材で驚くべき事実を浮かび上がらせてみせる。橋本蔵相とアメリカのブレイディ財務長官のサシの話し合いは大蔵省主導で行われ、外務省はまったく蚊帳(かや)の外であった、と。「大蔵省は外務省を除外し、外交の窓口が二元化した。それによってアメリカに足元を見透かされる結果を招いた」という。本来なら、「外交の第一線にある者は相手国の要求を現場で能うかぎり値切り、本国に妥結を請訓する。そして外務省は大蔵省に掛け合った末、現場の交渉者に訓令する」のが常道で、「大蔵主計局がそんなに銭を出すわけにはいかないとゴネている」と本省が現場に伝えると現場は、「本省はなんとか説得したが、大蔵がダメを出している。大蔵の言い分を容れて、なんとかいま少し知恵を絞ってくれないか」と相手国を説得する。政府部内が一枚岩であれば交渉力は倍加し外交はしなやかな力強さを発揮するはずだが……。国内的対立が外に持ち越されては国際貢献も後手に回る。縦割り行政の弊害を厳しく衝いた秀れた調査報道である。
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